日本初の南極観測船「宗谷」超強運だった 元軍艦 受けた魚雷は不発 総員退艦でも復活

移ろいゆく「宗谷」の戦後 そして南極へ

 戦後「宗谷」は引き上げ船として運用され、任務終了後は再び商船に戻ります。なお、「宗谷」が戦後に賠償艦として接収されなかったのは、船速の遅さや、見た目の古めかしさなどで、特に魅力的な艦に見えなかったことが理由だという話もあります。そういった面でも運がよいといえますね。

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船の科学館が所蔵する「宗谷」の、通信室の様子。一般公開時は船内の見学もできる(画像:船の科学館)。

 1949(昭和24)年12月からは、海上保安庁所属の灯台補給船「そうや」になります。そして、1955(昭和30)年11月、正式に南極観測船「宗谷」に改修され、1962(昭和37)年までその任務を務めます。

 この南極観測船に抜擢されたのには、どんな過酷な環境でも、「宗谷」ならきっと帰ってきてくれるという、「船運の強さ」も大きな理由として挙げられたそうです。改修費用は約5億円、当時の国家予算は1兆円前後といわれており、かなりの大金でした。それだけ南極観測は、当時の日本にとっての重要事でした。

 南極観測任務終了後も、海上保安庁で巡視船として運用された「宗谷」は、1978(昭和53)年10月2日に退役しました。2020年1月現在は船の科学館(東京都品川区)で、日本海軍と海上保安庁に所属歴のある、唯一の保存船としてその船体を休めています。

 なお2020年1月29日(水)現在、「宗谷」は保存整備工事のため、一般公開は一時休止中です。公開再開は同年4月1日を予定しています。

【了】

【写真】「宗谷」の操舵室

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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