夜間戦闘機「月光」の数奇な人生 斜め銃 レーダー装備で夜に活路 B-29撃墜のエースも
B-29を16機撃墜のエースも登場した夜間戦闘機「月光」
こうして誕生した夜間戦闘機「月光」を操り、16機もの撃墜、撃破の記録を打ち立てたのが、遠藤幸男中佐です。遠藤中佐は二式陸上偵察機を「月光」に生まれ変えさせる試験飛行のときから関わっており、斜め銃による射撃の第一人者として一時、最前線の南太平洋ラバウルで戦ったのち日本本土防空戦で活躍しました。
神奈川県厚木基地を拠点にB-29爆撃機の迎撃にあたり、その撃墜数から国民的英雄にもなりますが、1945(昭和20)年1月14日の防空戦で戦死しました。
このほかにも、「月光」でエースになったパイロットには、B-17を計8機撃墜し「ラバウルの夜の王者」と称された工藤重敏少尉や、日本本土防空戦でB-29を6機撃墜した黒鳥四朗中尉などがいます。
しかし、そうしたエースが誕生した一方、高々度性能が不足していた「月光」は、高度1万mを飛ぶB-29に一般的な技量の搭乗員が立ち向かうには厳しいものがありました。しかも1945(昭和20)年4月以降、硫黄島を拠点にアメリカ軍側が護衛のP-51戦闘機などをB-29につけるようになると、十分な戦果を挙げるのが難しくなっていきます。
それでも、後継機の開発遅延や、戦闘機総数の絶対的不足から、「月光」は敗戦まで戦い続けました。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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