東日本大震災 全国から駆け付けた「支援バス」その後 関西のバス いまも東北を走る
車両が足りない! 全国のバス事業者から集まった「災害支援バス」
震災直後は、各避難所から医療施設や商業施設、入浴施設(多くは自衛隊の拠点)へ向かう路線が多く開設され、またボランティアセンターや復旧現場へ関係者を運ぶ貸切車両も頻繁に運行されるなど、バスの需要は震災前をはるかに上回るものでした。
しかし、バス事業者は車両の不足に悩まされます。岩手、宮城2県にまたがる沿岸部では、乗合バス59台、貸切バス134台が被災し(鈴木文彦『東日本大震災と公共交通2 復興から未来の交通まちづくりへ』)、地域によっては使える車両がほとんどない事態に陥っていたのです。これに対し、全国の事業者から支援が寄せられました。
岡山県の両備バス(両備ホールディングス)は、車両が足りなくなる状況を見越して、すぐに譲渡できる車両のピックアップを、地震発生後すぐに始めたそうです。その後、同社から無償譲渡されたバスは、津波によって町内の貸切バス車両14台中13台が使用不能となった岩手県大槌町で、フル回転の活躍を見せました。
また、大阪市交通局(バス部門は現・大阪シティバス)の支援は大きな話題を呼びました。仙台市からの支援要請が大阪市交通局の現場に届いたのは震災当日の18時。職員らは即座に大阪市の支援物資を積み込み、運転手を手配したものの、時間が遅く官公庁への承認をもらうことができなかったのです。当日は金曜日、次に開庁するのは月曜日です。しかし、テレビやラジオから聞こえる被災状況は深刻さを増すばかりで、すぐにでも出発すべき状況でした。
翌3月12日には2台の市営バスが、東北に向けて出発しました。担当者は「帰ってきたら、一緒に怒られましょか」のひと言で、運転手を送り出したそうです。車両の構造上、高速道路を走れない市営バスは、大阪から約600kmの道のりを一般道で北上し、翌朝4時に仙台市宮城野区へ到着します。支援物資の乾パン1万食と毛布8000枚は、拠点から避難所に配送され、乾パンはその日の朝食として提供されました。
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