東日本大震災 全国から駆け付けた「支援バス」その後 関西のバス いまも東北を走る
その後の災害に生かされる「3.11」の経験
なかには、東北の現地を走っている支援車両が、いまはなき事業者の名残となっている例もあります。兵庫県の明石市交通部は、被災地へ車両を譲渡した翌2012(平成24)年、地元の事業者へ路線を譲渡して解散しました。いま、ミヤコ―バスの気仙沼営業所管内を走っている譲渡車両が、結果的に「最後の明石市バス」となっています。
震災から9年が経ち、「平成」から「令和」になったいまも、バス事業者が被災し車両などが不足した時には、他地域の事業者が支援するという流れが続いています。2019年10月、台風19号による豪雨で福島交通の郡山営業所が水没し多くの車両が失われた際も、東京都交通局はわずか数日でバス車両を提供しました。迅速な手続きが実現した背景には、東日本大震災のときの経験があるそうです。
天災と隣合わせの時代、こうした非常時に備え、事業者の枠を超えて「助け合い」の事例を積み上げることは、自社のメリットのみならず、被災地域の速やかな生活の立て直しにもつながるのではないでしょうか。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
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