なぜ東急バスが東京駅に? 東急の最長路線「東98」 世田谷の端まで直通220円

昭和の長大路線バスの「生き残り」

 この「東98」はもともと、東急バスと東京都交通局(都営バス)が共同運行(相互乗り入れ)していた路線です。昭和20年代から半世紀以上にわたり、両者が交互に1本ずつ運行するスタイルが定着していましたが、2013(平成25)年に東京都交通局が撤退しました。それ以降は東急バスが単独で、従来の本数を大きく変えることなく運行しています。

 運行を担当する東急バス目黒営業所は、「バスが通る目黒通りは東急線から離れた区間も多く、当社エリアから目黒駅を越え、都心部へ向かわれる方が多いです」と話します。

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終点の等々力操車場は住宅街のなか(2020年3月、中島洋平撮影)。

 昭和の時代には、都心部を営業エリアに持つ東京都交通局と、おもに山手線の外側で営業する民間事業者との共同運行で、両者のエリアを直通する長距離バス路線が多くありました。しかし地下鉄網の整備とともに、それらは分割されたり、区間が短縮されたりして、各エリアで完結するものとなっていきます。そうしたなかで「東98」は、東急バスの単独運行となりながらも、当時のまま残る数少ない長距離路線といえるでしょう。

 ちなみに、都営・東急による共同運行路線は「東98」以外にも複数ありました。たとえば都営バスの「宿91(新宿駅西口~高円寺陸橋~新代田駅前)」と、東急バスの「森91(新代田駅前~大岡山小学校前~大森操車場)」は、もともと両者が共同で新宿駅西口~大森操車場間を運行していたのが、新代田駅前を境に分割されたものです。

【了】

【路線図】東急バス最長路線「東98」のルート

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コメント

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7件のコメント

  1. 東京駅前から乗ったことがある。
    途中で運転士が交代する1時間を超える長い旅だった。
    景色もバラエティーに富み、飽きない路線なので、一度は乗るのも良い。
    もう一回はどうかだがw

  2. 東京駅-等々力のバスは渋谷経由の東82系統もお忘れなく。
    渋谷で系統分断されてしまいましたが。

  3. この路線は昭和の頃、何便か霞ヶ関から目黒まで首都高を経由していました。
    まだ都営の目黒車庫があった頃で、目黒駅で運転手交代ということもありました。

  4. 都バスとの共同運行時は微妙に運賃ルールが異なっていて都バスのほうが安く当たりだった。

    確かに、東京駅丸の内口、皇居、日比谷公園、官庁街、愛宕山、東京タワー、慶応義塾、三田、
    白金(プラチナドンキ!)、自然教育園、庭園美術館、寄生虫館、目黒インテリアストリート、
    元(東京)競馬場、自由が丘、等々力渓谷と見どころたくさん。

    • 運賃ルールは、時代によっていろいろ変遷がありました。
      お書きになられた「事業者が自分の設定通りの運賃を取る」の他、分界点(東98の場合は目黒駅)を境に
      ・都心側のみの乗車は都営の運賃
      ・郊外側のみの乗車は東急の運賃
      ・分界点をまたぐ場合は高い方の運賃
      というパターンが昭和の頃は多かったと記憶しています。両者の運賃改定のタイミングによって、全線均一に戻ったりもしていました。

  5. 東急と小田急は渋24(渋谷駅~成城学園前駅)や玉07(二子玉川駅~成城学園前駅)で共同運行していますが、玉08(現在は二子玉川駅~調布駅南口、小田急のみ)もかつては二子玉川園駅~国領駅前の路線で東急と小田急の共同運行でした。
    京急とも園11(田園調布駅~大森駅~羽田空港)など、結構様々な路線で共同運行していましたね。

  6. 因みに「東01」は京王バスで、東小金井駅発関野橋経由東小金井駅行き(関野橋循環)です。