なぜ東急バスが東京駅に? 東急の最長路線「東98」 世田谷の端まで直通220円
都営バスの営業エリアである東京駅に、山手線の西側をおもなテリトリーとするはずの東急バス「東98」系統が乗り入れています。同社のなかでは最長、23区内でも有数の長距離路線は、なぜ誕生したのでしょうか。
東京駅から都県境近くの等々力まで直通!
都営バスの営業エリアである東京駅丸の内口に東急バスの乗り場があり、ここから世田谷の南部、神奈川との都県境でもある多摩川に近い等々力(とどろき)までを結ぶ「東98」系統が発着しています。高速バスや深夜急行バスではない、私鉄系バス会社の一般路線(いわゆる路線バス)が東京駅まで乗り入れるのは、「東98」が唯一の存在です。
「東京駅南口」を称する丸の内口の3番乗り場を発車したバスは、日比谷や内幸町を経て一路南へ。虎ノ門ヒルズや東京タワー、慶応義塾大学を通り過ぎ、東京メトロ南北線と都営三田線のターミナルである白金高輪駅に出ます。その後は目黒通りを南西へひた走り、山手線の目黒駅や東急東横線の都立大学駅を経て、終点である、東急大井町線の等々力駅に近い等々力操車場へ到着します。東京の都心部から郊外へ、約1時間のバス旅は、車窓も変化に富んでいます。
「東98」の走行距離は約15kmと、東急バスの一般路線では最長、東京23区内でも有数の長距離路線です。東京駅と等々力のあいだを鉄道で移動すれば乗り換えが必要で、JRあるいは東京メトロと東急というように、2事業者ぶんの運賃がかかりますが、このバスは片道220円で直通します。
また、東急バスの営業エリアはおもに山手線の西側に広がっており、「東98」はそこから大きく外れています。そのため、バス車内の路線図には収まりきらず、都心部の区間は地図の欄外に付け足されるように表示されているほどです。
そもそも東京の路線バスは、各事業者の営業エリアがおおよそ決まっていますが、なぜ東急バスが東京駅まで乗り入れているのでしょうか。
東京駅前から乗ったことがある。
途中で運転士が交代する1時間を超える長い旅だった。
景色もバラエティーに富み、飽きない路線なので、一度は乗るのも良い。
もう一回はどうかだがw
東京駅-等々力のバスは渋谷経由の東82系統もお忘れなく。
渋谷で系統分断されてしまいましたが。
この路線は昭和の頃、何便か霞ヶ関から目黒まで首都高を経由していました。
まだ都営の目黒車庫があった頃で、目黒駅で運転手交代ということもありました。
都バスとの共同運行時は微妙に運賃ルールが異なっていて都バスのほうが安く当たりだった。
確かに、東京駅丸の内口、皇居、日比谷公園、官庁街、愛宕山、東京タワー、慶応義塾、三田、
白金(プラチナドンキ!)、自然教育園、庭園美術館、寄生虫館、目黒インテリアストリート、
元(東京)競馬場、自由が丘、等々力渓谷と見どころたくさん。
運賃ルールは、時代によっていろいろ変遷がありました。
お書きになられた「事業者が自分の設定通りの運賃を取る」の他、分界点(東98の場合は目黒駅)を境に
・都心側のみの乗車は都営の運賃
・郊外側のみの乗車は東急の運賃
・分界点をまたぐ場合は高い方の運賃
というパターンが昭和の頃は多かったと記憶しています。両者の運賃改定のタイミングによって、全線均一に戻ったりもしていました。
東急と小田急は渋24(渋谷駅~成城学園前駅)や玉07(二子玉川駅~成城学園前駅)で共同運行していますが、玉08(現在は二子玉川駅~調布駅南口、小田急のみ)もかつては二子玉川園駅~国領駅前の路線で東急と小田急の共同運行でした。
京急とも園11(田園調布駅~大森駅~羽田空港)など、結構様々な路線で共同運行していましたね。
因みに「東01」は京王バスで、東小金井駅発関野橋経由東小金井駅行き(関野橋循環)です。