空母の記事一覧
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WW2最大最強の空母「信濃」どう使うつもりだった? 大和型の3番艦が装甲の塊になるまで
戦艦ではなく空母として進水した大和型戦艦の3番艦「信濃」。「大和」譲りの強力な装甲を装備した不沈空母として旧日本海軍は使う予定だったようですが、完成前に沈められています。一体どんな運用を行う予定だったのでしょうか。
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奇抜すぎる「軍艦の迷彩」何のため? 大戦中のシマシマ 幾何学模様…陸とは発想が違う
二度の世界大戦で、軍艦や輸送船は潜水艦の魚雷をかわすため、船体に奇抜な迷彩塗装を施していました。周囲の風景に溶け込ませる陸上兵器の迷彩とは、そもそも発想が異なる当時の軍艦の迷彩を紹介します。
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地中海に米仏伊の空母3隻集結 他のNATO諸国艦も ロシアも同海域で大規模演習へ
アメリカ海軍が地中海でフランスやイタリアと共同演習を実施しました。ただそこにはスペインやノルウェーといったNATO各国の姿も。さらにはロシアも同じく地中海で大規模演習を行う予定です。
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「煙突と艦橋が邪魔」「飛行甲板増やせ」空母はいかにして完成されたか 無理ゲーに挑んだ各国
約100年前に誕生した空母は、いまや世界の海軍における主力艦艇になっています。しかし、航空機を軍艦に載せるための技術開発は困難を極めました。空母誕生の時代にしのぎを削った日米英の試行錯誤を振り返ります。
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最後の空母「葛城」が進水した日-1944.1.19 燃料・艦載機なく出撃機会は来ず
旧日本海軍の空母「葛城」が1944年の今日、進水しました。ミッドウェー海戦で主力空母を相次いで失った日本は、中型空母の建造を急ぎます。しかし竣工した頃には戦局は悪化。「葛城」に出撃機会は訪れませんでした。
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裏ワザで他国より有利に? ロンドン海軍軍縮条約での日本空母の台所事情
1923年に発効したワシントン海軍軍縮条約は、主力艦と航空母艦の保有を制限しましたが、1万トン以下の航空母艦には制限がありませんでした。1930年のロンドン海軍軍縮条約で制限されるのですが、日本は抜け道を用意していました。
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「多段空母」の歴史 なぜ「赤城」と「加賀」の甲板をひな壇にする必要があったのか?
空母が誕生してから100年。新しいものには付きものですが、その初期はかなりの試行錯誤がありました。多段式空母もそうした試行錯誤のひとつで、現代においてイメージされる空母とは、だいぶ姿かたちの違うものでした。
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大統領の鶴の一声で誕生「インディペンデンス級軽空母」1年で9隻就役 最後の艦は50年現役!
アメリカ海軍が第2次大戦中に大量建造したクリーブランド級軽巡洋艦。その船体を流用して造られたインディペンデンス級軽空母は、改造空母とは思えないほど本格的な造りから重用され、なおかつ長生きしました。その理由をひも解きます。
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空母の「スキージャンプ」なぜ増えた? 艦載機の発艦装置 カタパルトより世界で拡大のワケ
現代空母のトレンドと呼べる設備のひとつ「スキージャンプ」は、滑走距離の限られる飛行甲板から航空機を発艦させることができる便利な仕掛けです。実は、アメリカとイギリス以外の国が空母を保有できるのも、これが登場したおかげでした。