陸奥の記事一覧
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大和型が登場するまで「世界最大最強」 ナゾ多き最期も残骸は戦後に大活躍! 戦艦「陸奥」の生涯
旧日本海軍の戦艦「陸奥」が1921年の今日、竣工しました。巨大な船体と主砲で戦果をあげることが期待されましたが、「謎の爆沈」で知られるように最期はあっけないものでした。しかし、戦後に思わぬ活躍をしていることも忘れてはなりません。
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いまも重宝される“旧日本戦艦の残骸”とは 戦時中に爆沈→わざわざ引き揚げられた理由
終戦時、日本海軍の戦艦は「長門」を残して全ての艦が失われていましたが、その1隻である「陸奥」は戦後、海の中にいながら、意外な活躍の場を得ることになりました。
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「戦艦の砲塔こんなデカいのか…」現存唯一「陸奥」の砲塔内を実見! なぜ破壊されずに残った?
広島県の江田島市にある海上自衛隊の学校には、戦前に降ろされた戦艦「陸奥」の砲塔と主砲が教育用として今も残されています。今回、特別な許可を得てこの砲塔の内部に入り、自衛隊員案内のもと取材してきました。
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指示待ってられるか! 関東大震災の「災害派遣」一番乗りした戦艦とは 他艦も“独断専行”で急行
今から100年前の9月1日に関東大震災が発生しました。当時海軍の連合艦隊は訓練中で旅順にいましたが、急遽訓練をとりやめ、関東方面に急行することになりました。
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世界7大戦艦の一翼「陸奥」進水-1920.5.31 でも“ほぼ戦わず”して閉じた生涯
旧日本海軍の戦艦「陸奥」が1920年の今日、進水しました。全長220m超え、41cm連装主砲を装備するなど「大和」が登場するまで世界最大最強で、「世界のビッグ7」のひとつに数えられました。国民の人気も高かったといいます。
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「長門」型戦艦は大改装後も世界最強だった? スペックでは米英の次世代艦に勝る部分も
日本の長門型戦艦は世界で最初に41cm砲を採用した戦艦で、旧日本海軍の象徴でした。ただ長門型戦艦も就役時はともかく、第2次世界大戦直前、すなわち1935年ころはどうだったのでしょうか。大規模改装後の実力を見てみます。
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日本戦艦「長門」もし米英の同世代艦とタイマン勝負したら? 旧海軍の象徴どこまで強かったか
第2次大戦前、旧日本海軍の象徴としてよく知られた存在であった長門型戦艦の「長門」「陸奥」。国産技術の粋を集めた「自慢の戦艦」は、米英の新型戦艦と比較した場合、どれだけの性能を誇っていたのでしょうか。竣工時で見てみます。
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要塞作るの禁止→なら空母だ! 海戦を一変させた98年前のワシントン海軍軍縮条約
11月11日はワシントン海軍軍縮条約の交渉が始まった日。1923年に発効した本条約は、米英日仏伊5か国がどの程度の海軍力を保持できるか決めたものですが、戦艦や空母の保有量の宣言とは別の禁止条項が存在しました。
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実は日本の外交的勝利!? 史上初の軍縮条約「ワシントン海軍軍縮条約」で得た“実利”
11月11日はワシントン海軍軍縮条約の交渉が始まった日。1923年に発効した本条約は、米英日仏伊5か国がどの程度の海軍力を保持できるか決めたものですが、軍艦の性能や保有量などで多くの制限があり、のちの歴史に大きな影響を与えました。
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戦艦「陸奥」はなぜ爆沈した? 旧海軍のアイドル艦 隠された事故とその背景、残る謎
「世界のビッグ7」の1隻に数えられた戦艦「陸奥」は、同「長門」と共に、旧海軍の象徴でした。ところがその最期は、瀬戸内海に停泊中、爆発事故を起こし沈没するというもの。1943年6月8日、その日「陸奥」になにが起きたのでしょうか。