勝算絶無の日米艦隊決戦「マリアナ沖海戦」 ゲリラに拘束されなかったら…? そこに勝機はあったか
80年前の6月19日、北太平洋で日米両軍が激突し、マリアナ沖海戦が発生しました。アメリカ軍の圧倒的な兵力を前に、策略ミスも重なり旧日本軍は大敗北。あまりにも一方的な展開でしたが、勝機を見出すことは不可能だったのでしょうか。
各個撃破された日本軍
1944(昭和19)年6月19日に勃発したマリアナ沖海戦は、日本本土空襲のためにマリアナ諸島を攻略しようとするアメリカ軍と、防衛しようとする旧日本軍との戦いでした。
この時期、旧日本軍は巨大兵力を持つアメリカ空母艦隊に対抗すべく、基地航空部隊と日本空母艦隊を連携させようと考えました。しかしタンカー不足もあって、決戦海域は日本艦隊の展開しやすい近場とし、実際に侵攻を受けたマリアナ方面での決戦は想定していませんでした。
そこでは海軍の福留中将が現地のゲリラに拘束され、旧日本軍の兵力配置はアメリカ軍に知られる羽目に。その結果、日本空母が拠点としたタウイタウイ近辺にアメリカ潜水艦隊が出没し、空母艦載機の訓練も進まなくなります。さらに、アメリカ軍がビアク島に上陸したことを受け、旧日本軍はマリアナ防衛のために準備した基地航空兵力を動かし、兵力が分散してしまったのです。
1週間ほど前の6月11日、マリアナ諸島のサイパン島をアメリカ軍機が空襲、上陸作戦を開始しました。日本はビアク島に兵力を動かし、小兵力となった基地航空部隊は12日までに無力化されてしまいます。
日本艦隊は合流や補給に手間取り、戦場に到着したのは6月19日でした。日本は艦載機の航続力有利を活かし、アメリカ空母艦載機が届かない距離から攻撃隊を出す「アウトレンジ攻撃」を挑みます。しかし、レーダーで攻撃隊接近を探知したアメリカ艦隊が、保有する戦闘機の大半を迎撃に向け、日本の攻撃隊は大損害を受けます。防空網を突破した日本の攻撃機も、近接するだけで信管が作動する「VT信管」による対空砲弾で大半が撃墜されました。
さらにアメリカ潜水艦の魚雷と空襲で空母「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」が撃沈されたことで、日本艦隊に致命的な被害が出、海戦は大敗。サイパン島は陥落して、長距離爆撃機B-29の発進基地となります。以降、日本本土は激しい空襲を受けることになったのです。
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