旧日本陸軍の記事一覧
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「馬の形をした猛獣」…日本の「軍馬」 試行錯誤の黎明期から現代にいたるその歩み
近世末の欧州の戦争において、戦場を縦横無尽に駆け、敵陣への突撃で戦局を覆す騎兵はまさに花形の兵科でした。日本はそのころ江戸時代、すっぽりと運用理論が抜け落ちてしまい、近代に突入してから大きな苦労をすることになります。
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旧陸軍一〇〇式重爆撃機「呑龍」の誤算 計画上は護衛機いらずの最強爆撃機 実際は…?
初期段階の計画書は夢のようなプランが書いてあることはよくあります。一〇〇式重爆撃機「呑龍」も当初はこれに応えるべく開発が開始されました。ある部分では応えられるも、全体的に見ると優れているとはいいにくいものでした。
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近現代戦で最前線に出た指揮官たち 佐官や将軍までがなぜ? もしかしたら国王も…?
指揮官自らが戦闘機や戦車、あるいはロボットへ乗り込み戦闘に臨むというのは、アニメなど創作物の世界ではよく見られますが、現実にもそういった事例はあります。そのような前線に出る指揮官たちを、階級ごとに見ていきます。
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旧陸軍「イ式重爆撃機」2年足らずで使い捨ての理由と背景 不遇のイタリア機…なぜ?
昭和初期、日本とイタリアは軍事同盟を結んでいましたが、同じく同盟を組んでいたドイツ製兵器と比べると、日本国内で当時のイタリア製兵器はあまり知られません。しかし数少ないながらも、旧日本軍で制式化し採用された例もありました。
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旧日本陸軍「強襲揚陸艦」秘密兵器にしてた 空母?いえ商船です 特種船丙型 あきつ丸
「餅は餅屋」といいますが、旧海軍などあてにできないといわんばかりに旧陸軍が作ってしまった船「あきつ丸」には当てはまりませんでした。いまでいう強襲揚陸艦そのものの先進的な船ですが、実戦の揚陸作戦への投入は一度きりでした。
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旧日本陸軍「自転車で電撃戦」マレー半島を駆けた銀輪部隊とは 放置自転車問題も発生
「電撃戦」とはWW2期のドイツが戦車と自動車などを駆使し展開したスピード重視の軍隊運用思想ですが、実は当時、日本もそれに似たことをマレー半島で実行していました。戦車も使いましたが、歩兵が駆ったのは「銀輪」こと自転車です。
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ヘリとは違う回転翼機「オートジャイロ」なぜ主流になれなかったのか?その長所と短所
飛行機は固定翼機と回転翼機に分けられ、後者はおもにヘリコプターと、「オスプレイ」のようなティルトローター機とに分けられますが、それとは別にオートジャイロというものもあります。ヘリコプターに似ていますが、別物です。
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旧陸軍「九五式軽戦車」が3たび日本人の手へ戻るまで 当事者に聞くその紆余曲折と今後
海外コレクターの手元にある旧日本陸軍の九五式軽戦車を購入するためのクラウドファンディングが成功しました。元は京都や和歌山で展示されていた車両です。今回買い戻すことになった経緯と今後の展開を、プロジェクト主導者に聞きました。
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旧陸軍戦車、終戦後はどうなった? 本土決戦用の九五式と九七式戦車、その後の奉公先
1945年の太平洋戦争終結時、日本国内には本土決戦に備え、かなりの数の戦車が残されていました。その一部は、軍が解体されたのち、兵器としては無力化されつつもさまざまな形で活用されたといいます。
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線路も走れる旧日本軍の秘密兵器! どう見ても戦車な九五式装甲軌道車なぜ作られた?
地面はもちろん線路も走れる、見た目はほぼ戦車の「九五式装甲軌道車」は、なぜ作られたのでしょうか。鉄道の重要性が現代よりはるかに高かった昭和初期の、“撮影禁止の秘密兵器”だったそうですが、当時の写真もあります。