実は後ろ向きが前だった? 日本戦車の砲塔機関銃 取付位置が不思議なワケ

同軸機関銃がなかった日本戦車

 それにしても、なぜ日本の戦車は砲塔前面、すなわち主砲と同じ面に機関銃を装備しなかったのでしょう。

 この頃、諸外国はすでに戦車砲と同じマウントに搭載する「同軸機関銃」を採用していました。この方式ならば、戦車砲と機関銃が同じ方を向きながら目標によって使い分けることができ、なおかつ敵戦車を攻撃する際には、戦車砲を射撃する前に機関銃を撃つことで砲の照準を合わせる補助にも使うことが可能でした。

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1944(昭和19)年6月のサイパン島に展開した、戦車第九連隊第五中隊所属の「みたて」号。前後に防弾器を装着した車体銃と砲塔銃が見える。(吉川和篤作画)。

 しかし当時の日本戦車には、太平洋戦争後期まで同軸機関銃の装備はありません。その理由は、日本戦車の設計にありました。八九式にしろ、九七式にしろ、57mm戦車砲の照準・射撃を乗員(戦車兵)の肩付けで操作していたのです。

 肩付けとは、小銃や機関銃のようにストック(銃床)がある銃を構える際、肩の付け根の部分にストックをしっかりとあてグラグラしないよう保持することです。初期の日本戦車の場合は、機関銃にしても砲にしても肩付け用にストックかそれに類した部品を装備していました。

肩付けで構えることで、素早い照準、精密な射撃ができる反面、砲架の構造から機関銃の設置ができなくなります。また常にギリギリの大きさで設計された砲塔のサイズも一因といえるでしょう。

このような理由から、戦車砲と機関銃を同軸に装備せず、前後に分ける形となったのです。こうして後ろ向きの砲塔銃は、日本戦車の特徴といえる、独特のアイテムとなったのでした。

【了】

【図解】貴重! 旧日本軍戦車学校の教本に記された戦車砲塔とは

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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コメント

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2件のコメント

  1. KV-1戦車にも後方機銃ありましたが。

    • あったから何なのさ?
      「後方機銃は日本戦車にしか搭載されていません」なんて書いてある?書いてないよね
      この記事は「日本の戦車は砲塔後部に機関銃を装備していた」という内容であって、「後方機銃を持つ戦車一覧」じゃ無いんだよ
      知識をひけらかしたいならWikipediaでも編集しときなさい