日本を焼き払ったB-29爆撃機はアメリカの「手」も焼いた…? 「超空の要塞」投入前夜 2020.09.29 月刊PANZER編集部 4 ツイート お気に入り tags: B-29「スーパーフォートレス」, アメリカ軍, ボーイング, ミリタリー, 爆撃機, 航空, 軍用機 1 2 3 4
B-29量産のためにボーイングが建て増しした工場がエヴァレット。
戦後は旅客機の工場になったが、そのせいでボーイングの飛行機に乗りたくない人もいたとか。
自分の親父は空襲で焼け出されてプラモといえど爆撃機への強烈なアレルギーというか嫌悪感を持ってたくせに、倅の方はメカとして惹かれる親不孝w
タービン部品の猛烈な交換に寄ってフライトが支えられていた点に触れてほしかったですね。いかにもアメリカ的な発想でそれを実現させてしまう、工業力のバックグラウンド。
20年ほど前、当時唯一飛行可能な状態だったB-29 FiFi を見学する機会がありました。
副操縦士席と背中合わせになる形で航空機関士の席があり、後ろ向きに座った座席の窓から右翼のエンジンが見えるようになってました。また、左右の機銃手席からもエンジンが見えるようになっていて、飛行中はエンジンの監視も重要な役目だったというので、エンジンってそんなに見張ってなきゃいけないものか?と尋ねたら、いつ火を吹くかわからないからね、との答えで、当時は冗談だと思ってました。
撃墜しにくい厄介な爆撃機と見るか、事故の多い厄介な爆撃機と見るかといっても、当時のアメリカは、膨大な資源と、労力、技術力を投じて、無茶と無理を重ねても、夢のようだったこんな超空の要塞を実戦に投入抱けるだけの国力がありました。それに対して、中島航空機の構想していた空中戦艦富岳は、設計上は可能だったものの、それらを製造・完成させるだけの技術も、資源もなく、大戦末期には、アメリカにやられ放題でした。所詮、この機体一つをとってみても、当時の日本がアメリカと戦争を始めるなんて、いかに現実を無視した、暴挙だったのかを如実に示しているでしょう。