米政府がUAEへF-35の輸出承認でミグ悲鳴 やめて! MiGのヒットポイントはもうゼロよ!
一時代を築いたはずの「ミグ」ブランド どうしてこうなった?
現在のミグ社の前身であるミグ設計局は、旧ソ連時代の1939(昭和14)年に設立されました。そしてこれまでに、朝鮮戦争でアメリカのF-86F「セイバー」とつばぜり合いを演じたMiG-15や、1万機以上が生産され、ベトナム戦争でアメリカ製戦闘機を苦しめたことで知られるMiG-21、1976(昭和51)年9月6日にパイロットの亡命目的で函館空港に強行着陸し、日本でも一躍有名になった高速迎撃機MiG-25といった、航空史に名を残すであろう名機を次々と世に送り出してきました。
しかしソ連が崩壊した1991(平成3)年を境に、ミグ設計局の栄光は失われていきます。1991年12月25日のソ連崩壊後からさかのぼること約1年前の、同年1月17日に開戦した湾岸戦争で、イラク空軍のMiG-29は多国籍軍の戦闘機に対抗できず、5機を撃墜されてしまいます。
イラク空軍のMiG-29は、旧ソ連軍が運用していたMiG-29よりも意図的に性能を落とした輸出仕様機であり、また多国籍軍の戦闘機はAWACS(早期警戒管制機)の支援を受けているというハンデも存在していたのですが、湾岸戦争での惨敗によりMiG-29の輸出市場での評価は急落してしまいました
さらに、機体規模が近いアメリカ製F-16は着実に能力を向上し、またユーロファイター・タイフーンをはじめとするMiG-29よりも後に開発された戦闘機が市場に投入されていきます。加えて1996(平成8)年に民営化された、ミグ設計局を含む設計局と航空機製造工場を傘下におさめたユナイテッド・エアクラフトが、MiG-29よりも市場での評価が高く、価格も高い「フランカー」シリーズの輸出に力を入れたこともあって、MiG-29は他国と自国のライバルに、輸出市場で大きく水を開けられていました。
LM「HA⭐︎NA⭐︎SE!」