「後輪が隠れるクルマ」なぜ廃れた? そもそも何のため? 日本で普及しなかったワケ

1930年代まで遡る歴史

 後輪をカバーするデザインの誕生は非常に古く、1930年代まで遡ります。これはクルマの普及と、性能向上が大きく関係しています。

 20世紀前半、T型フォードを皮切りにクルマの大量生産時代が到来すると、その普及に合わせて、クルマはどんどん高性能化していきます。そこで問題になったのが、空気抵抗でした。クルマのスピードを速くするためには、空気抵抗が少ないほど良いということに気が付いたのです。

 そんな1930年代に生まれたのが流線形による空力デザインでした。同時に、後輪をカバーする手法も誕生しています。ただし当時は、現在のような風洞実験設備などないため、あくまでもイメージ先行。しかし、流線形の空力デザインは、「高速走行可能」というイメージと直結するため、非常に多くのクルマが採用するようになったのです。

 ちなみに、第二次世界大戦後に生まれて大ヒットした、フォルクスワーゲンの「ビートル」や、シトロエンの「2CV」も、1930年代に開発された流線形デザインのクルマです。発売が戦後になったのは、あいだに第2次世界大戦を挟んだのが理由です。

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キャデラック「エルドラド」。アメリカでのテールフィン全盛期に誕生(画像:GM)。

 また、戦後の好景気に沸いた1960年代のアメリカでは、最先端技術の飛行機をイメージさせるテールフィンのカーデザインが大流行します。このテールフィンのクルマの多くは、後輪がカバーされていました。これは「タイヤを隠す」ほど、クルマが飛行機に似るのが理由です。このデザインはヨーロッパでも人気となり、コンサバなメルセデス・ベンツでさえ、当時のモデルにはテールフィンが採用されていたほどでした。

【ギャラリー】現行の日本車も「後輪カバーのクルマ」いろいろ

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コメント

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3件のコメント

  1. むかし拙宅にあった初代三菱ミニカがそうでした。今の言葉で言えば「誰得?」。

  2. DS、きれいだな。

  3. 夏タイヤー冬タイヤの交換をする人が、ほとんどいない。とはとても思えないんだけど。そこをバッサリ切ってアレコレ言うのには共感出来ない。。