「孤独の女王」独戦艦「ティルピッツ」は役に立ったのか? 欧州北方鉄壁の引きこもり
「砲艦外交」という言葉があるように、「戦艦」の役割のひとつはその存在感を誇示することです。WW2期、スカンジナビア半島北端のフィヨルドに引きこもりつつイギリスをいら立たせた独戦艦「ティルピッツ」も、その例に洩れません。
「北の孤独の女王」の最期
1942(昭和17)年1月28日以降、イギリス軍の空襲や小型潜水艇による「ティルピッツ」への攻撃は、1944(昭和19)年11月12日の撃沈まで20回におよびます。フィヨルドという狭隘な地形と厳しい天候、鉄壁防護体制により攻撃は困難で、それなりに損害を与えるもののなかなか撃沈には至りませんでした。
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1944(昭和19)年9月15日、イギリス空軍の「ランカスター」爆撃機が投下した5t爆弾「トールボーイ」1発が命中し、「ティルピッツ」は大きく損傷します。10月に旧トロムス県(現トロムス・オ・フィンマルク県)のトロムソへ移動、市西方に位置するハーコイ島の南岸に着底して砲台とする作業中の11月12日、再度「ランカスター」爆撃機隊の空襲を受けます。トールボーイ29発が投下され、「ティルピッツ」も38cm主砲の対空射撃で反撃しますが、トールボーイ2発が命中、1発が至近弾となり大破横転しそのまま沈没着底してしまいました。多くの乗組員が艦内に閉じこめられ、950人から1204人が犠牲になったとされます。
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「ティルピッツ」は「ビスマルク」と比べても華々しい戦闘シーンはありませんが、連合軍の関心を引きつけるという期待された任務は達成したと、評価する向きもあります。しかし建造、運用コストに見合うものだったのかは分かりません。なによりドイツは結局、敗戦しています。最後に多くの犠牲者を出してしまったのも痛恨でした。
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大破着底した「ティルピッツ」は、第2次世界大戦が終わるまで艦底を晒したまま放置され、1948(昭和23)年から1957(昭和32)年にかけて、ドイツとノルウェーの合弁会社によって浮揚・解体されます。長く「ティルピッツ」が停泊していたアルタには2021年現在、ティルピッツ博物館があります。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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