海の支配者は飛行機か? WW2前夜、世界を巡ったドイツ弩級戦艦撃沈実験の衝撃とその後
飛行機による航空攻撃で戦艦を沈めることは可能か否か。1921年7月21日、飛行機の歴史からするとまだまだ黎明期といえる頃ですが、人類はその日初めて明確な解答を得ます。衝撃は世界を巡り、極東の海軍中佐のもとへも届いたのでした。
飛行機は主戦力たりうるか? WW2前夜のある実験
20世紀最大の発明品のひとつ「飛行機」は、先史時代から続く陸戦、海戦に加え、新たに「航空戦」とよばれる分野を切り開きました。そして飛行機は1914(大正3)年に勃発した第1次世界大戦において、早くも陸戦の趨勢を決める不可欠な存在として認められるに至ります。
一方で海戦における飛行機の価値は、第1次世界大戦の終結時点においても未知数でした。空母からの地上攻撃や偵察にはすでに実績があったものの、海軍の主力たる大型の水上艦「戦艦」は堅牢な装甲を持ち、飛行機による爆撃によってこれに有効な打撃を与えうるかどうかは、まだ誰にも分からなかったのです。
その答えを探るべくアメリカ陸海軍は、いまから98年前の1921(大正10)年7月20日から21日にかけて、実物の戦艦を標的とした航空攻撃実験を実施しました。白羽の矢が立ったのは、第1次世界大戦の賠償によってドイツから取得した、ヘルゴラント級弩級戦艦「オストフリースラント」でした。
「オストフリースラント」はちょうど10年前に就役したばかりの新鋭艦であり、当初、海軍主流派の多くは航空攻撃によって重大なダメージを与えることは難しいと予測しました。なかには「艦から実験を眺めても良い」と豪語する者さえいたといわれます。
実際、16発もの爆弾の直撃を受けても、「オストフリースラント」はびくともしませんでした。海軍主流派のなかには「戦艦が簡単に沈むか」と呟いた人もいたかもしれません。
ところが、6発投下された2000ポンド(908kg)大型爆弾が艦をわずかに逸れ水中で爆発すると、「オストフリースラント」の船底は突き破られます。これが致命傷となりわずか10分後、あっけなく沈没してしまいます。
「いとも簡単に『オストフリースラント』が横転沈没した様子を見て、海軍の老犬どもは声をあげて泣いていたよ」――実験に立ち会ったアメリカ陸軍の「航空派」は、海軍主流派をこのように嘲笑したとされます。航空派は実験以前から「戦艦は不要」と公然と言い放ち、特に実験を主導した陸軍のウィリアム・ミッチェル少将(後にB-25爆撃機に名を残す)などは、海軍は廃止し空軍を編成すべきとまで主張していましたから、海軍主流派との対立は感情的なものにまで発展していたのです。
コメント