「大阪環状線」が誕生60周年 その歴史 「あまり環状してない」現状どう変わる?

大阪市内なのに「閑散駅」が3つも

 大阪環状線は京橋・鶴橋など東側にターミナル駅や繁華街が集中し、この区間で混雑するようになりました。やがて大阪~天王寺間で客を西半分に誘導するため。西九条経由で快速運転が始まりますが、この快速が1973(昭和48)年、関西本線と直通を開始し、現在の「大和路快速」の原型となります。

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「大和路快速」に使われる3扉の221系電車(2014年7月、恵 知仁撮影)。

 さらに1994(平成6)年、関西国際空港の開港とともに阪和線に「関空快速」、1999(平成11)年には「紀州路快速」が誕生、阪和線の一般列車も大阪環状線へ直通するようになります。そして2001(平成13)年、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の開業に合わせ、桜島線も1968(昭和43)年以来、33年ぶりに大阪環状線へ乗り入れを再開します。

 現在は日中の純粋な「環状運転」を行うのは1時間にわずか4本。東京の山手線との大きな違いです。また、「大和路快速」は天王寺を出発して大阪環状線を「いったん一周」しますが、福島~新今宮間では快速運転を行います。阪和線との直通運転を行う「関空快速」「紀州路快速」などの快速も同様です。その結果、野田・芦原橋・今宮の3駅は15分に1本しか電車が来ない「閑散駅」となっています。

 これらの一般列車の隙間を縫うように、特急「はるか」や「くろしお」「オーシャンアロー」などが、環状線を走行しています。これら特急列車は、福島~大阪間で梅田貨物線に入り、大阪駅をバイパスする形で新大阪駅からJR京都線に直通しています。

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