操縦しにくいならキャタピラ曲げちゃえ! クルマと同じく“切れ角”ある戦車「テトラーク」
登場のタイミング悪すぎ ごく少数の生産で終了
このように、メリットとデメリットの両方を兼ね備えた「テトラーク」でしたが、誕生した時期が最悪でした。1939(昭和14)年9月に第2次世界大戦が始まり、翌1940(昭和15)年6月初頭に、いわゆる「ダンケルクからの大撤退」で、イギリス陸軍は戦車を始めとして多くの装備を失います。
その結果、快進撃を続けるドイツに対抗するためには、軽戦車よりも強力な巡航戦車や歩兵戦車が1両でも多く必要になりました。この影響で、当時のイギリス陸軍は軽戦車である「テトラーク」の生産を後回しにします。しかも、友好国のアメリカから同国製のM3軽戦車およびM5軽戦車が大量に供給されたことで、軽戦車の需要はM3およびM5で満たせるようになり、「テトラーク」の必要性は低下していきました。
そのうえ、1940(昭和15)年にイギリス国内のダイムラー(ディムラー)社が開発した装輪装甲車Mk.IIは、タイヤ駆動の装甲車でありながら、「テトラーク」と同等の火力を持ちつつ装甲防御力はやや上で、装輪式のため速度に至っては断然、高速でした。
こうして、性能的には決して悪くなかったものの、世に出たタイミングに恵まれなかったことなどで、「テトラーク」はわずか177両(異説あり)の生産で幕を閉じています。
とはいえ「捨てる神あれば拾う神あり」。グライダーに搭載して空輸可能な戦闘車両を探していたイギリス軍空挺部隊は、本車の軽量でコンパクトな点に着目。1943(昭和18)年に「テトラーク」は空挺部隊向けのグライダー搭載用の空挺戦車として配備されます。
1944(昭和19)年6月のノルマンディー上陸作戦では、大型グライダー「ハミルカー」に積載される形で、6両が実戦に投入されました。その後も、1945年のライン川渡河作戦などで運用されています。しかし、イギリス軍空挺部隊が大型グライダーの運用を止めたことで本車の必要性もなくなり、1949(昭和24)年、完全に退役しました。
その後、「テトラーク」のような履帯を直接曲げて方向変換する戦車は登場していません。このような特殊な構造は、現代の戦車やブルドーザーのような大重量の履帯駆動車両には向かないのでしょう。時代の仇花に終わってしまった「テトラーク」は現在、イギリス本土のボービントン戦車博物館などで、技術遺産として保存・展示されています。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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