使い方を間違わなければ評価は変わった!? 駄作の烙印押された英「ビショップ」自走砲

第2次世界大戦中、各国では牽引式火砲の砲関連部分を戦車の車体に組み合わせ、短時間で自走砲を開発していました。イギリスも同様に自走砲を開発したものの、なぜか駄作の烙印。しかし、それは使い方が悪かったからかもしれません。

大戦勃発時、自走砲を持たず焦ったイギリスが作ったオリジナル自走砲

 第2次世界大戦において、イギリス陸軍はアメリカ製やカナダ製の自走砲を大量に導入して運用しました。しかし牽引式火砲では、独自に25ポンド砲という傑作砲を開発し多用しています。なぜイギリスは当時、25ポンド砲を搭載したオリジナル自走砲を生み出さなかったのでしょうか。

 実はイギリス陸軍も、大戦初期にその25ポンド砲を自国製の戦車車体に組み合わせたオリジナル自走砲を開発導入しました。その名は「ビショップ」。しかしその直後に登場したアメリカ製やカナダ製の自走砲より低性能だったため、約150両の調達で終わり、運用も短期間で終了したのです。

 とはいえ、実は運用方法さえ「ビショップ」の特徴に適したものであれば、その低性能もカバーできたのではないかと一部ではいわれています。つまり「ビショップ」は、ある意味ボタンの掛け違いが原因で短命に終わったといえなくもないのですが、そこを見ていきます。

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1943年7月、シチリア島の戦いに参加したイギリス陸軍の「ビショップ」自走砲(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 そもそも軍馬や自動車などで引っ張る牽引式火砲は、射撃できる状態にセットする時間が少々必要です。しかし自走砲であれば、一部の大口径砲を備えた車種以外の多くは、停止してすぐに射撃を開始できるのが、牽引式火砲と比べた場合の大きな長所といえます。

 実は自走砲も、世界で初めて戦車が実戦で使用された第1次世界大戦時、戦車発祥の国であるイギリスにおいて誕生し、実戦にも投入されています。ところが当のイギリスは、大戦後の緊縮財政の影響で、自走砲の開発量産を止めており、第2次世界大戦が勃発した1939(昭和14)年の時点で、現役の自走砲はありませんでした。

 しかし大戦が熾烈さを増すなかで、砂漠の広がる北アフリカ戦線などでは、射界が開けており、しかも車両が行動しやすい平坦な地形が多かったことなどから、敵と味方が互いに頻繁な移動を繰り返す機動戦となりました。そのため、従来の牽引式火砲では戦いの展開スピードについていけない場面もしばしば生じたのです。

【写真】狭っ! 「ビショップ」自走砲の内部

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