「腕3本欲しい…」隊員泣かせ10年で退役 犬っ鼻戦闘機「セイバードッグ」日本への寄与
冷戦激化が生んだ急造の全天候戦闘機
第2次世界大戦終了後のいわゆる「東西冷戦」時代、核爆弾を積んだソ連(現ロシア)の爆撃機を恐れたアメリカでは、あらゆる条件でも迎撃できる戦闘機の開発計画が同時期にいくつも進められていました。
そのなかでも早い段階で開発されたのがF-86Dでした。1949(昭和24)年、ソ連が初の核実験に成功したことで、それに危機感を抱いたアメリカは、部隊配備が始まったばかりのF-86「セイバー」戦闘機の初期型であるF-86Aにレーダーを載せ、短期間で全天候戦闘機を生み出そうと考えます。こうして同年中に初飛行したのがF-86Dでした。いうなれば同機は“急造”だったわけです。
ただ、搭載する電子機器の開発に手間取ったため、F-86Dの配備開始は1953(昭和28)年にずれ込んだものの、高性能だったことから、アメリカ空軍の全天候迎撃戦闘機の主力として君臨。在日米空軍でも千歳、三沢、横田、小牧、板付(現・福岡空港)の各基地(いずれも当時)に配備されました。
しかし当時、ジェット戦闘機の発展は日進月歩でした。わずか2年後の1955(昭和30)年、より高性能な超音速戦闘機のコンベアF-102「デルタダガー」が就役するとF-86Dはあっという間に旧式化。第一線から引き上げられ、同盟国や友好国などへ払い下げられるようになります。こうして航空自衛隊にも大量にアメリカ空軍の中古F-86Dが引き渡されたのです。
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