対戦車戦の頼れる相棒 イタリア戦車の車体+大口径砲=「セモヴェンテ」戦車王国ドイツも期待

ドイツの突撃砲を真似てイタリアも開発

 冒頭に述べた通り、イタリアは1940(昭和15)年6月に第2次世界大戦に参戦したものの、当初から戦車不足と同時に対戦車兵器の不足にも悩まされます。とはいえ、ドイツ軍が対フランス戦で88mm高射砲を対戦車戦闘に転用し、効果を立証した例もあったことから、イタリアでも同じように、90mm高射砲を対戦車戦闘に使おうと考え、それを搭載したトラック型の自走砲を開発しました。

 しかし、非装甲のトラックでは敵味方の銃弾が飛び交い、砲弾が炸裂する最前線で用いるには防御力に限界があったため、味方歩兵の砲撃支援をしながら強固な敵正面を突破できる装甲付き自走砲の開発が急がれました。

 このような軍の要望に対し、イタリアの戦車メーカーであるフィアット・アンサルド社は、当時採用されたばかりのM13/40型中戦車をベースにした自走砲(セモヴェンテ)の開発に着手します。

 しかし、主戦場であった北アフリカの戦局は装甲付きの強力な対戦車自走砲を待望していたため、イタリア陸軍は試作車ができる前から早くも30両を発注。そのようななか、1941年2月に完成した試作車は、各種試験において良好な結果を出したことから、M40 75/18型自走砲(セモヴェンテ)として短期間で制式化されました。

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1944年4月、グスタフラインにおけるドイツ陸軍第71歩兵師団第171戦車猟兵部隊(第1171突撃砲部隊)所属のM42 75/18型自走砲。車体側面にドイツ十字章が描かれている(吉川和篤作画)。

 この“新兵器”は、ドイツのIII号突撃砲をデザインの参考にしたのが特徴で、低いシルエットの戦闘室に18口径75mm戦車砲を装備していました。これは原型こそ戦前の野砲/山砲であったものの、化学エネルギーを用いる成形炸薬弾ならば距離500mで90mm(40度)の装甲板を撃ち抜く性能を有していたことから、対戦車戦の切り札として期待されます。

 のちに、ベースとなる戦車としてM13/40よりも高性能なM14/41やM15/42が登場すると、M40 75/18型セモヴェンテの量産も、それらを用いるようになり、各型合計で300輌以上生産されています。

 なお戦果としては、1942(昭和17)年10月、イギリス領エジプト(当時)のエル・アラメインでの攻防戦においてイタリア陸軍の第554自走砲部隊が、一晩で敵イギリス軍の戦車を20両撃破し、一時的に進撃を食い止めるといった成果も挙げています。

【写真】ドイツ軍戦車にも劣らない迫力! 「セモヴェンテ」最終形態

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