対戦車戦の頼れる相棒 イタリア戦車の車体+大口径砲=「セモヴェンテ」戦車王国ドイツも期待

終戦まで進化し続けたセモヴェンテ

 こうして、対戦車車両として戦果を挙げるにつれ、セモヴェンテの役割は、歩兵の火力支援から対戦車戦闘メインに変わっていきました。そこでイタリアは重装甲化する敵戦車に対抗すべく、強力な長砲身砲を搭載した新型の開発を1943(昭和18)年に計画。こうして生み出されたのが、M14/41型中戦車を改造したM41 75/32型自走砲(セモヴェンテ)で、25両が生産されました。

 しかし、さらに長砲身で強力な34口径75mm野砲が実用化されたため、M15/42型中戦車をベースにしたM42 75/34型自走砲が新たに開発されます。同車は280両発注されたものの、直後の1943(昭和18)年9月にイタリア休戦となったことで生産されずに終わるかと思いきや、ドイツとともに戦い続けることを決めた北イタリアの「イタリア社会共和国」(R.S.I)で50両が生産され、ドイツ軍装備として1945(昭和20)年5月の大戦終結まで最前線で用いられました。

Large 210513 semovente 03

拡大画像

1943年9月、イタリア陸軍第135機甲師団『ヴィットリオ・エマヌエレ2世』槍騎兵連隊所属のM42 75/34型自走砲。M42 75/18型自走砲と比べて長大な75mm砲を装備している(吉川和篤作画)。

 一方、1942(昭和17)年には、より大型の25口径105mm野砲を装備した重自走砲M42L(Larga:ワイド)の開発も計画。105mm砲を搭載するため、車体は大幅に改造されて車幅は広くなり、サイドスカートを装備するようになっています。

 外観形状から「バッソット」(ダックスフント)と呼ばれたM43 105/25型自走砲は、1943(昭和18)年2月に30両発注され、そのうち26両が同年9月のイタリア休戦までに完成。1945(昭和20)年の終戦までに北イタリアのR.S.Iで91両が追加生産され、前述のM42 75/34型自走砲などと同様、ドイツ軍の対戦車自走砲としてイギリスやアメリカなどの連合軍と戦っています。

 これらとは別に、ドイツは1944(昭和19)年、フィアット・アンサルド社にM43 105/25型をベースに、長砲身75mm高射砲を搭載した新型自走砲(セモヴェンテ)M43 75/46型の開発を依頼します。これはドイツの75mm対戦車砲弾も使用可能な砲で、防御力もアップしていたため、イタリア最後で最強の自走砲としてドイツ軍も期待した対戦車自走砲でしたが、終戦までに完成したのは29両のみだったため、大戦の勝敗には寄与せずに終わっています。

 イタリアの戦車というと、ドイツやソ連、アメリカ、イギリスなどと比べて“貧弱”というイメージが強いものの、その車体を流用して造られた対戦車自走砲:セモヴェンテは、同盟国ドイツが期待するほど強力なものだったのです。その意味では、チャンスに恵まれなかった「隠れた実力者」と形容できるかもしれません。

【了】

【写真】ドイツ軍戦車にも劣らない迫力! 「セモヴェンテ」最終形態

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「あなたの知らないイタリア軍」「日本の英国戦車写真集」など。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。