JR中央線の跨線橋が撤去の危機 街と鉄道の発展を90年見てきた「生き証人」の秘密

明治時代の古レールも使われている文化財

 三鷹の人々とともに歴史を刻んできた三鷹跨線人道橋ですが、今は素人目にも相当老朽化が進んでいることがわかります。また、200mほど三鷹駅寄りには、自転車も通行できる堀合(ほりあわい)地下道があり、陸橋がなくなっても南北の往来は一応保たれます。陸橋の耐震補強工事と管理のコストを考えると、撤去が検討されるのもやむを得ないことかもしれません。

 一方で、この陸橋には鉄道史的にも価値があります。建設当時は鋼鉄資材が貴重だったため、角形鋼材と併せて古レールが多数使われているのです。階段の柱や桁に使われたレールをよく観察すると、レールの刻印を読み取ることができます。そこには、1907(明治40)年から1923(大正12)年にかけての西暦年が読み取れ、製造所も日本の官営八幡製鉄所やドイツのカイザー社、アメリカのコロラド石油・製鋼会社、ベスレヘム製鉄会社、スチールトン社、メリーランド製鋼社など、さまざまな製鉄所の名前があり、明治から大正、昭和にかけての鉄道史をうかがい知ることができます。

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スマホであれば金網の隙間から安全に電車の写真を撮れる(栗原 景撮影)。

 また、三鷹車両センターや中央線の電車を安全に見学できる場所である点も見逃せません。陸橋には、毎日電車を見に来る親子連れ・家族連れの姿があります。老朽化が進んでいるとはいえ、大人の背よりも高い金網はよく管理されており十分安全。三鷹の子どもたちは、この陸橋で「かっこいい電車」を心ゆくまで眺め、電車と鉄道に親しみを感じて育ちます。金網はそれほど細かくなく、スマートフォンのカメラなら金網に邪魔されることなく写真を撮ることができ、冬の晴れた日なら電車の向こうに富士山がきれいに見えます。

 ある施設が役割を終えて消えてゆくのも、やむを得ないことではあります。ですが、電車好きの子どもを育て、町と鉄道の歴史を語りかける三鷹跨線人道橋には、価値もあるはず。JRと三鷹の人々の選択が待たれます。

【了】

【写真】跨線橋から一望! 三鷹車両センターと夕暮れの富士山

Writer: 栗原 景(フォトライター)

1971年、東京生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター。小学生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。出版社勤務を経て2001年からフリー。多くの雑誌や書籍、ウェブに記事と写真を寄稿している。主な著書に『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(誠文堂新光社/共著)など。

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