エアレース用→爆撃機転用=最強!? イタリア機SM.79「スパルヴィエロ」の華麗なる戦果

旅客機から爆撃機への転用

 1938(昭和13)年には、SM.79CS型をさらなる長距離用に改造したSM.79T型3機を使って、ローマ~ダカール~リオデジャネイロ間の9650kmを24時間22分(平均速度393km/h)で飛行することに成功しています。ちなみに、この時3号機の機長として、操縦棹を握っていたのは、当時イタリアの最高指導者であったムッソリーニ統帥の長男ブルーノでした。

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1938年、ローマ~ダカール~リオデジャネイロ間の長距離飛行に出発するSM.79T型「I-MONI」号。国際レース用に赤く塗られた同機は遠征後ブラジルに残され、1944年まで使用されている(吉川和篤所蔵)。

 このような高性能記録を次々と打ち立てるSM.79型をイタリア軍が放っておくわけがありません。第2次世界大戦前、イタリア空軍は近代化が遅れており、長距離高速性能に優れたSM.79型を中型爆撃機に転用しようと計画したのは自然な流れでした。

 こうして1935(昭和10)年頃より、サヴォイア・マルケッティ社に実用プランと、それに伴う機体の改造を命じたのです。

 そのような命令により、流麗なシルエットの機体中央には縦置きの爆弾倉が設けられ、通常1000kg、最大で1250kgの爆弾を収納することが可能になりました。加えて、胴体下部には爆撃手が乗り込むゴンドラが増設されて外観も無骨な印象に変わります。

 ほかにも軍用機として機銃が追加されると共に、エンジンも780馬力の新型に換装。こうして誕生した新たな爆撃機には、「スパルヴィエロ」の名称が与えられました。ちなみに「スパルヴィエロ」とは、イタリア語でハイタカ(鷂)を意味します。

「スパルヴィエロ」は1936(昭和11)年10月から生産が始まり、1943(昭和18)年6月までに総計1217機が生産されました。なお、この数はイタリア爆撃機では最大の生産数でもあります。

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