日独戦艦「大和」&「ビスマルク」どっちが高コスパだった? 建造前から対照な2艦

敵へ与えた心理的影響と物理的損傷の差

「大和」は、旧日本海軍の戦力の中心である連合艦隊の旗艦にもなりましたが、“期待の怪物ルーキー”として温存され続け、結局、戦争末期に成功の見込みがきわめて薄い一部の作戦に投入された程度で、輝かしい武勲を挙げることなく1945(昭和20)年4月7日に戦没。その生涯における戦果は、最大に見積もっても、アメリカの艦上機を約30機撃墜した程度でした。

 一時は1944(昭和19)年10月25日のサマール沖海戦において、アメリカの護衛空母「ガンビア・ベイ」をその砲撃により撃沈したとされたこともありましたが、近年の研究では、「大和」の砲撃はそのような戦果には関与していない可能性がきわめて高いとみなされています。

 つまり、世界最大最強の次世代戦艦たる「大和」は、さほどでもない機数の艦上機を撃墜しただけに終わったということです。さらに“秘密兵器”同様の扱いが続いた結果、敵を疑心暗鬼にさせて、「大和」に対抗するための軍艦や艦隊を張り付け、自由な戦力運用を妨げるといったような心理的効果をアメリカ側に与える、といったこともありませんでした。

Large 210629 bismark 03

拡大画像

1940年8月24日に就役したドイツ戦艦「ビスマルク」(画像:アメリカ海軍)。

 反面、ドイツ戦艦「ビスマルク」は、「大和」とは異なって温存ではなく積極的に戦闘に投入され、初陣でイギリスが誇る巡洋戦艦「フッド」を轟沈させ、最新鋭であった戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を中破させるという大戦果をあげています。しかも実際に砲火を交わす以前から、「ビスマルク」はイギリス海軍の軍艦や艦隊を張り付け、同海軍の戦力運用に不便を生じさせていました。

 戦艦「ビスマルク」は、短命にも就役から1年と経たない1941(昭和16)年5月27日に戦没しましたが、前述のように敵であるイギリスに対する心理的圧迫と巡洋戦艦「フッド」撃沈などにより、日本の「大和」よりもはるかに大きな戦果をあげたといえるのではないでしょうか。

 かような次第で、冷徹な話になってしまいますが、両艦を兵器としての「費用対効果(コスパ)」で比較した場合、筆者(白石 光:戦史研究家)は、同時代に出現したにもかかわらず「大和」は明らかにコスパが悪く、「ビスマルク」でようやくとんとんだったと考える次第です。

【了】

【見比べ】「大和」の46cm砲と「ビスマルク」の38cm砲

Writer: 白石 光(戦史研究家)

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

6件のコメント

  1. 単純にコスパだけで見るのは、どうかなぁ。何より、ドイツと日本では海軍戦力に大きな差があったし。ドイツ海軍は、戦力に全く余裕が無かったから最初から戦艦を投入せざるを得なかった。まぁ、日本は日本で投入どころを間違えたけどね。

  2. 抑止力という概念理解出来ない子供の軍隊だったのでしょうね

  3. >「ビスマルク」はイギリス海軍の軍艦や艦隊を張り付け、同海軍の戦力運用に不便を生じさせていました。

    「ティルピッツ」もイギリス海軍の軍艦や艦隊を張り付け、同海軍の戦力運用に不便を生じさせていました?

  4. こういう言い方はしたくないけれど、あまりにも低レベルの分析だよ。そもそも、第一次世界大戦時とくらべても海軍力であまりにも劣っていたドイツには、ビスマルクを隠匿したり、後ろに下げて決戦用に温存するなんて選択肢がそもそも存在しないからね。

    ワシントン会議についても、アメリカの焦点は日英同盟の解消だし、日英の焦点はアメリカを多国間安全保障体制にちゃんと引き止めておくことだからね。まあ、当時のマスコミはじめ日本人にもちゃんと世界地図を俯瞰して判断出来なかった人間は多かったから、こういう近眼視的分析はこの著者だけではないけれど

  5. 逆にもっとも高コストパフォーマンスなのは金剛型。もっとも還暦が古いにも関わらず、対艦(ソロモン沖海戦)・対地(ヘンダーソン基地砲撃)・対空(機動部隊護衛)で獅子奮迅の活躍。
    さらに“高速戦艦”という性質を厄介に感じたアメリカ海軍に対抗策としてアイオワ級を建造させたり、イギリス海軍も太平洋戦争前に戦艦二隻をアジアに派遣させる。
    練習戦艦から御召艦、大和のテスト艦にもなって、一番日本海軍に貢献した戦艦といえる。

  6. 結局のところは貧乏のせいでしょう…
    アメリカはソロモン海戦にワシントンやサウスダコタを普通に投入してきたのに、日本はもったいなくて古くて沈んでもまぁいい金剛型しか導入できなかった。結果的に念願の戦艦同士の戦闘で新鋭艦対旧式艦になってしまった。
    いくらでも新しいものを作れるぞという思いがあれば大和型を秘匿もしなかっただろうしもっと戦艦を積極的に投入できていた。