線路の立体交差化「上から越えるか下に潜るか」 小田急線が両方になったワケ

その後の「まちづくり」見据え、多くの人に当事者意識を

 同区間の工事は東京都が事業主体で、当初から高架によって立体交差化する予定でした。なぜなら東北沢駅(東京都世田谷区)の隣の代々木上原駅(同・渋谷区)がすでに高架で、地下線で建設すると線路を接続することが難しくなるからです。

 高架線に統一して工事をした方がスムーズなうえ、工費・工期の面でも合理的です。ところが一部の沿線住民から高架化に反対の声が上がりました。

 複々線化・立体交差化の対象区間のうち一部はすでに高架線での供用を開始していたこともあり、東京都は住民の要求を退けようとしました。しかし、問題はこじれて訴訟へと発展してしまいます。

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地下化された小田急線の線路跡に開業した「下北線路街」(2019年9月、大藤碩哉撮影)。

 裁判の結果、住民の言い分が通ります。そのため、下北沢駅(東京都世田谷区)の前後は高架線ではなく地下線で立体交差化することになりました。こうして小田急線の立体交差区間には、東北沢~世田谷代田間が地下線、梅ヶ丘~和泉多摩川間が高架線(成城学園前駅付近は掘割)と、両者が入り混じる区間が誕生したのです。

 立体交差化は一種の「まちづくり」です。鉄道会社・地方自治体・地域住民などのプレイヤーがたくさん関係します。

 せっかく莫大な時間と費用を投じて進めた立体交差化ですから、すべての人が納得できる結論を導くことは難しくても、議論を尽くして多くの人たちが当事者意識を持つことは必要不可欠です。それは立体交差化後のまちづくりにも、プラスの作用をもたらすことにもなります。

【了】

【なぜ?】5年間だけ存在した世田谷代田駅「地下3階ホーム」

Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)

フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。

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コメント

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7件のコメント

  1. 住民の訴訟があったのは事実ですが、それが下北周辺地下化の原因になったのは違うのでは?単純に用地収用と地価の問題ではないでしょうか?

  2. 「住民の反対で下北沢地下化」って自分はネットの噂レベルでしか見たことないんですよね。
    断言するからには、書籍とか新聞とか信憑性のあるソースあるんですよね?まさか怪しいブログがソースとか無いですよね?

  3. 最初は高架にしたかった。

    世田谷代田駅近くに高圧線があるのをご存知でしょうか?
    高架にするにはあれの更に上を通し、更に井の頭線の上に達しなければ成らずかなりの高層となり景観を損ねる。
    また、威圧的とされ廃案となりました

  4. 下北沢地下化の経緯に引きずられたけど、結局この記事何を言いたいのでしょう。
    最後のタイトル「まちづくりのために当事者意識を」って、若干のソースの怪しい「住民の反対運動で地下化」という主張と合わせると「下北沢は住民に当事者意識があったから反対運動で地下化させて、まちづくり成功!」って言いたいように思えてしまうんですよね。

  5. 根本的な事実誤認のある記事なので、撤回されたらいかがでしょう。
    小手先の訂正では間に合わないと思います。
    住民勝訴の訴訟はないですし、地下に変更するという和解もありません。

  6. 乗りものニュースってクオリティ低いんですかね?

  7. 東京の城西エリアは岡と谷の連続で、代々木八幡から谷を上がり、東北沢で尾根を越え下北沢の谷底に降り、世田谷代田でまた尾根を越え梅ヶ丘へ下っていく。また成城学園前付近も仙川の谷があり成城学園前の台地を抜け河岸断丘の下へ降りていく地形。
    起伏激しい地形だけに地下になったり高架になったりしてもなんら不思議ではありません。

    他の方もかかれてますが、事実誤認もあるようですね。