奈良線の103系 むかしは山手線を走っていた その遍歴を追う
奈良線では、2本の103系が最後の活躍をしています。このうちの先頭車はかつて山手線で使用されていました。山手線を走っていたのはわずかな期間ですが、どうして山手線で使用され、短期間で関西にやって来ることになったのでしょうか。
この記事の目次
・2本が残る奈良線用の103系
・山手線で本格的に導入された冷房車
・現役で残る103系冷房車グループ
・関東では珍しい「ブタ鼻」
・103系転用の原因 ATCの導入
・約1年で山手線から関西入り
・奈良線最後の103系の来歴
・東海道・山陽緩行線から関西本線へ
・6両編成から4両編成へ
・先頭車と中間車で窓サッシの色が違うワケ
【画像枚数】全8枚
2本が残る奈良線用の103系
103系と言えば、国鉄を代表する通勤電車です。3500両以上も製造され、首都圏をはじめとして関西・中京・東北・九州で使用されましたが、老朽化によって淘汰が進み、現在では数が少なくなってしまいました。
2021(令和3)年現在、103系はJR西日本とJR九州で使用されています。とくに奈良線と山陽本線の支線である通称「和田岬線」で使用されている車両は、昔ながらの103系の面影を残していることが特徴です。
その奈良線では、2本の103系が最後の活躍をしていますが、このうちの先頭車が山手線で使用された実績があるのです。山手線を走っていたのは短期間ですが、なぜ短期間で関西にやって来ることになったのか、その遍歴を追ってみます。
山手線で本格的に導入された冷房車
残り4676文字
この続きは有料会員登録をすると読むことができます。
Writer: 柴田東吾(鉄道趣味ライター)
1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR線の2度目の「乗りつぶし」に挑戦するも、九州南部を残して頓挫、飛行機の趣味は某ハイジャック事件からコクピットへの入室ができなくなり、挫折。現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。鉄道雑誌への寄稿多数。資格は大型二種免許を取るも、一度もバスで路上を走った経験なし。
コメント