奈良線の103系 むかしは山手線を走っていた その遍歴を追う

奈良線では、2本の103系が最後の活躍をしています。このうちの先頭車はかつて山手線で使用されていました。山手線を走っていたのはわずかな期間ですが、どうして山手線で使用され、短期間で関西にやって来ることになったのでしょうか。

この記事の目次

・2本が残る奈良線用の103系
・山手線で本格的に導入された冷房車
・現役で残る103系冷房車グループ
・関東では珍しい「ブタ鼻」
・103系転用の原因 ATCの導入
・約1年で山手線から関西入り
・奈良線最後の103系の来歴
・東海道・山陽緩行線から関西本線へ
・6両編成から4両編成へ
・先頭車と中間車で窓サッシの色が違うワケ

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2本が残る奈良線用の103系

 103系と言えば、国鉄を代表する通勤電車です。3500両以上も製造され、首都圏をはじめとして関西・中京・東北・九州で使用されましたが、老朽化によって淘汰が進み、現在では数が少なくなってしまいました。

 2021(令和3)年現在、103系はJR西日本とJR九州で使用されています。とくに奈良線と山陽本線の支線である通称「和田岬線」で使用されている車両は、昔ながらの103系の面影を残していることが特徴です。

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京都駅に停車する吹田総合車両所奈良支所の103系NS407編成(2018年4月6日、柴田東吾撮影)。

 その奈良線では、2本の103系が最後の活躍をしていますが、このうちの先頭車が山手線で使用された実績があるのです。山手線を走っていたのは短期間ですが、なぜ短期間で関西にやって来ることになったのか、その遍歴を追ってみます。

山手線で本格的に導入された冷房車

 103系は1963(昭和38)年に試作車が作られ、翌年から量産化がはじまりました。当初は冷房がなかったのですが、1970(昭和45)年に試作冷房車と呼ばれるグループが作られ、山手線に投入されます。

 1973(昭和48)年から冷房車の量産化が行なわれ、103系の冷房車が中央線快速と山手線に投入されました。このうち山手線に投入された先頭車が関西に転じ、現在は奈良線で使用されているのです。

現役で残る103系冷房車グループ

 実は103系の冷房車は大阪環状線にも投入され、1973(昭和48)年から使用されています。大阪環状線では2017(平成29)年に103系が引退しましたが、大阪環状線で使用されていた103系のうち、「和田岬線」に転用されたものが現役で残っています。ちなみに、和田岬線の103系は1973(昭和48)年製で、大阪環状線で初めて導入された冷房車の一族でもあります。

関東では珍しい「ブタ鼻」

 さて、103系は1984(昭和59)年までの21年に亘って製造され、製造過程での設計変更が数多くあります。外観も細かい部分で変更があり、そのなかでは先頭車の前照灯を1灯から2灯とする仕様変更がありました。

 1972(昭和47)年に登場したグループから前照灯が2灯となりましたが、前照灯の形状から「ブタ鼻」とも呼ばれています。「ブタ鼻」のグループは、製造時期の都合で関西地区に集中的に投入されたため、当時関東地区では珍しい車両でした。また、先の試作冷房車に続いて、側面の窓は「ユニットサッシ」と呼ばれる窓構造となり、窓の丸みが消えて縁取りが設けられています。

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Writer: 柴田東吾(鉄道趣味ライター)

1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR線の2度目の「乗りつぶし」に挑戦するも、九州南部を残して頓挫、飛行機の趣味は某ハイジャック事件からコクピットへの入室ができなくなり、挫折。現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。鉄道雑誌への寄稿多数。資格は大型二種免許を取るも、一度もバスで路上を走った経験なし。

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