【空から撮った鉄道】梅田貨物駅跡地に誕生する街「うめきた」 3年分の定点観測から

大阪駅のすぐ北側に梅田貨物駅があったのは、もう10年も前のこと。現在は「うめきた2期地区再開発事業」が進行中です。梅田貨物駅解体中の2013年、梅田貨物線地下化工事開始後の2018年、再開発工事中の2021年。3年分の定点観測で現地を見てみましょう。

この記事の目次

・梅田貨物駅は2013年に廃止となった歴史ある貨物駅
・伊丹空港の管制圏内で撮影は慌ただしく
・2018年の空撮は雨上がりの曇天で
・2021年には駅構造も判別できるほどに

【画像枚数】全17枚

梅田貨物駅は2013年に廃止となった歴史ある貨物駅

 大阪駅は1874(明治7)年の開業以来、貨物駅を併設していました。明治末期になると駅西側に運河と貨物駅を配備し、やがて貨物駅は大阪駅と分離して梅田駅となります。1934(昭和9)年に大阪駅が高架化となった後も、地上に貨物施設を拡充させていきました。昭和40年代には運河跡をコンテナターミナル化。JR貨物へと継承されていきます。

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廃止から4ヶ月あまりが経過したころの梅田貨物駅(画面右)とともに大阪市内や淀川を望む(2013年8月28日、吉永陽一撮影)。

 梅田駅は周辺に私鉄の同駅名が多いため、混乱を避けるために梅田貨物駅と名乗っていました。ここでも梅田貨物駅と称します。梅田貨物駅は大阪駅という巨大ターミナルの傍にあって、長年貨物業務を行ってきましたが、いよいよ再開発されることとなり、2013(平成25)年3月、130年あまりの歴史に幕を閉じました。

伊丹空港の管制圏内で撮影は慌ただしく

 跡地はすぐさま解体されて更地となります。空撮したのは解体中の2013年8月のことでした。このときは貨物駅の線路が既に剥がされ、コンテナターミナルのカマボコ屋根が骨組みになりつつあったときでした。もう少し早ければ線路も写せたのにという悔しい気持ちはいまもありますが、往時の残り香をギリギリ捉えることができました。

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梅田貨物駅を真上から見ると重機により建屋の鉄骨やコンクリートの解体作業が行われていた。線路も一部がはがされている(2013年8月28日、吉永陽一撮影)。

 梅田貨物駅と大阪駅は伊丹空港の管制圏内のため、着陸機があれば現場を離れることも多々あります。2013年の撮影では着陸機の合間のわずかな時間で撮影しました。大阪駅周辺はいつもタイトな時間になるため、撮影はどうしても慌しくなります。梅田貨物駅と大阪駅をグルっと1~2旋回して記録しました。

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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