列車もろとも「消えた」根府川駅 語られぬ関東大震災最大の鉄道被災地 谷を駆けた土石流
関東大震災では、激震によって発生した土石流に東海道本線の列車が巻き込まれ、根府川駅もろとも消失する被害が生じています。当時どのような様子だったのか、残された資料や写真から考察してみます。
激震による山津波発生 飲み込まれた東海道本線
1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災。震源域が神奈川県南部から千葉県房総半島南部にかけてだったため、そのエリアを通る鉄道路線、とりわけ東海道本線(現・御殿場線も含む)や横須賀線、北条線(現・内房線)ではトンネル壁や橋梁、駅舎などの崩壊が多発しました。
その一方、東京の山手線や中央線では、揺れによる鉄道施設の被害は比較的軽い状況でした。死者約10万5000人という未曽有の大災害でしたが、東京や横浜での死者は大火災によるものが約9万1000人と大半を占めています。
そのような中、鉄道への最大の土砂災害が起きたのが、根府川駅(神奈川県小田原市)とその近くの白糸川鉄橋です。
当時の東海道本線は熱海~函南間の丹那トンネルが未開通で、現在の御殿場線がその一部でした。熱海方面へは、熱海線という名称で国府津から小田原を経由して真鶴までが開通していました。根府川は小田原から2駅目です。
海沿いの崖上に位置する根府川駅は、崖崩れと地すべりにより、ホームや駅舎、それに到着しかけていた列車ごと相模湾に転落してしまいました。まさに駅自体が消滅してしまったのです。そのわずか200mほど熱海寄りの白糸川鉄橋には、白糸川上流から土砂が押し寄せ、鉄橋は完全に破壊されました。近年多発している豪雨による土石流ではなく、激震による山津波の発生でした。
根府川駅の状況から見ていきます。地震発生は午前11時58分。その時、東西から2本の列車が根府川駅に近づいていました。下り東京発真鶴行きと上り真鶴発東京行きの普通列車です。
99年前の災害の写真貴重ですね。この場所より北側にある箱根離宮や、箱根登山鉄道にもかなりの被害が出ました。この時、早川橋梁(出山鉄橋)の被害が無かったのが驚きです。(いまも鉄橋は開通当時のまま残っています)
ここで書く箱根離宮は、ホテルの方ではなく箱根恩賜公園にあった函根離宮のことです。
90歳近い父から、この事故の話よく聞かされていました。戦前に祖母が奥湯河原で旅館を始めて、15年位前まで私も東京から週2,3ペースで車で通っていたのですが、根府川から岩あたり、海岸沿いの道を走るときはちょっと緊張しました。
私の勘違いかもしれませんが、父曰く、「この事故で駅のホームが流されたから、今でも根府川駅に欠番のホームがある」と聞いて4,5年前、友人と江之浦測候所に行ったとき確認した記憶があります。