列車もろとも「消えた」根府川駅 語られぬ関東大震災最大の鉄道被災地 谷を駆けた土石流
土砂が流れ下った場所 危機意識の共有は今も
現在の根府川駅の跨線橋からは、すぐ先に白糸川鉄橋が見えます。トラスなどほぼ同じ形状で再建されたものです。激震によりここから上流約4kmにある大洞山で崩壊が起き、大量の土砂が、海までわずか5分で達する速さで、白糸川の谷を駆け下ったとされます。谷沿いの根府川集落159戸のうち78戸が土砂に飲み込まれ、死亡者は289人に及んでいます。
その押し寄せるエネルギーは凄まじく、この白糸川鉄橋の橋脚をいともたやすくなぎ倒しました。コンクリート造りの橋脚6本のうち5本が切断され、橋脚3本と橋桁1本は100mほど下流の海中に没してしまいます。
土砂が激しく流れ下る際に跳ね上がった土は、白糸川鉄橋より少し上の山腹にまではっきりと痕跡を残しました。現在、東海道本線のすぐ上流側に東海道新幹線の橋梁(在来線の白糸川鉄橋より低い位置に架橋)がありますが、土砂はその橋桁に達するくらいの高さを流れたと推定されています。
東海道本線下り電車の車窓から白糸川の渓間を見下ろすと、畑や人家ののどかな光景が目に入るだけで、かつて惨劇があったことなど何も感じさせません。しかし根府川駅のある片浦地区は、土砂災害に関する住民意識が高いことが、地元メディアでも報道されています。小田原市が市内各地区で開催した「土砂災害に関する住民説明会」でも、片浦地区は対策や避難行動などで特に活発な意見が飛び交ったといいます。
この数年多発するようになった豪雨での土砂災害はもとより、地震も含めて、日頃からの対策、避難ルートの確認など、準備を怠りなくしておきたいものです。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
99年前の災害の写真貴重ですね。この場所より北側にある箱根離宮や、箱根登山鉄道にもかなりの被害が出ました。この時、早川橋梁(出山鉄橋)の被害が無かったのが驚きです。(いまも鉄橋は開通当時のまま残っています)
ここで書く箱根離宮は、ホテルの方ではなく箱根恩賜公園にあった函根離宮のことです。
90歳近い父から、この事故の話よく聞かされていました。戦前に祖母が奥湯河原で旅館を始めて、15年位前まで私も東京から週2,3ペースで車で通っていたのですが、根府川から岩あたり、海岸沿いの道を走るときはちょっと緊張しました。
私の勘違いかもしれませんが、父曰く、「この事故で駅のホームが流されたから、今でも根府川駅に欠番のホームがある」と聞いて4,5年前、友人と江之浦測候所に行ったとき確認した記憶があります。