沈む英独二大戦艦から生還! 船乗り猫「ブラッキー」と「不沈のサム」の航跡をたどる

大戦艦の最期を看取った2匹の猫

「プリンス・オブ・ウェールズ」には「ブラッキー」という猫がいました。1941(昭和16)年8月、チャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領が同艦で「大西洋憲章」の宣言を行った際の、チャーチルがブラッキーを撫でている写真が有名になりました。「プリンス・オブ・ウェールズ」はその後シンガポールへ派遣され、ブラッキーも乗り組んでいます。同艦は1941(昭和16)年12月10日、マレー沖海戦で日本海軍航空隊に撃沈されますが、ブラッキーは生き残りました。

「プリンス・オブ・ウェールズ」の沈没時、日本海軍攻撃機は乗組員の救助活動を妨害しなかったので多くの乗組員が救助され、そのなかにブラッキーも入ることができました。その後、ブラッキーはシンガポールに上陸したものの、1942(昭和17)年2月8日から始まった日本軍によるシンガポール攻略戦の混乱で行方不明になります。

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独戦艦「ビスマルク」(画像:Bundesarchiv、Bild 101II-MN-1361-16A/Winkelmann/CC-BY-SA 3.0、CC BY-SA 3.0 DE <https://bit.ly/3to5zM4>、via Wikimedia Commons)。

 一方「ビスマルク」は、1941年5月27日にイギリス艦隊との砲撃戦の末、撃沈され、2200人以上の乗組員のうち生き残ったのは115人だけでした。そしてそのなかに1匹の猫も含まれていたといいます。

 イギリス駆逐艦「コサック」に救助されたこの猫は「オスカー」と名付けられ、イギリス海軍に「移籍」したそうです。オスカーはこの後、「不沈のサム」というニックネームで呼ばれ、ロンドン近郊のグリニッジ国立海洋博物館に肖像画が残されるほど有名になります。

「不沈の」というニックネームは、イギリス海軍移籍後に乗り組んでいた「コサック」がUボートの雷撃で沈んだのち、空母「アークロイヤル」に乗り組む際、2回も乗艦沈没から生還したということから艦長に名付けられたといわれます。この時までは幸運の猫と見なされていたようです。しかしその「アークロイヤル」もまた沈没してしまいます。

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沈みゆく英空母「アークロイヤル」と、救助活動に当たる同駆逐艦「リージョン」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 乗り組んだドイツ戦艦「ビスマルク」、イギリス駆逐艦「コサック」、同空母「アークロイヤル」の3隻が沈み、そして「アークロイヤル」沈没時、救助にあたったイギリス駆逐艦「ライトニング」、同駆逐艦「リージョン」の2隻もまた沈没と、係わった全ての船が沈んだにもかかわらず、オスカー/サム本人は生き延びます。「幸運の猫」は一転して乗艦が相次いで沈没した縁起の良くない猫になり、サムは「陸上勤務」へ移され、北アイルランドのベルファストで1955(昭和30)年に死んでいます。

ロイヤルネイビー(英海軍)の一員だった猫たち

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コメント

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1件のコメント

  1. 誰が書いたんだ?「乗り組む」になってるよ。