中央線だけじゃない 横浜線の長~い直線区間できたワケ 橋本~町田で「何かを避けた」?

偶然の賜物 長い直線区間が生まれたワケ

 橋本駅から町田駅まで線路を敷設しようとルートを選定する際、点在する“巨人の足跡”を避けようとしたはずです。そうすると、橋本駅近くではオオクボとヤナギクボという窪地の間を、淵野辺駅近くでは鹿沼とショウブヌマの間を、それぞれうまく通り抜ける必要があります。しかし窪地の分布地図を見ると、橋本駅と町田駅を直線で結べば、それが偶然にも可能になることが分かります。

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巨人伝説の地、鹿沼公園(2021年10月1日、内田宗治撮影)。

 通常は窪地などを避けるために線路をカーブさせますが、ここでは窪地にぶつからないために直線とするしか選択枝がない、といった形です。線路を南北に数十m平行移動しただけでも、どこかの窪地にぶつかってしまいます。地形的に最適のルートが、奇跡のようにして存在した印象を受けます。

 また、直線にできたもうひとつの地形上の理由も存在します。この一帯、相模野台地北東部は台地上にもかかわらず、非常に平坦な土地が広がっています。たとえば2kmほど北側の多摩丘陵と比べるとその差が顕著で、多摩丘陵は谷筋が発達して極めて凸凹した地形です。橋本~町田間の相模野台地では、谷筋や山などをカーブで避けることなく線路が敷設できたわけです。

 さらにもうひとつ重要なこととして、鉄道敷設の目的、鉄道の社会的役割との関連が挙げられます。

 横浜線は1908(明治41)年、私鉄の横浜鉄道として八王子~東神奈川間が開業しました。八王子と横浜または川崎を結ぶ鉄道の建設は、1886(明治19)年という早い段階から、数社が国へ出願していました。目的は、当時の日本における最大の輸出品だった生糸を運ぶためです。

【確かに合理的なルートだ】JR横浜線と「巨人の足跡」の位置関係

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コメント

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1件のコメント

  1. 淵野辺や矢部駅は島式ホームですが、下り線だけは直線ですか?昔は単線でしたから仕方ないですね東中野〜立川はぐだぐだですがね。