歴史は繰り返す!? 70年前に計画の“空飛ぶ上陸用舟艇” コンベア「トレードウインド」飛行艇

哨戒機から輸送機へ変身

 アメリカ海軍は大戦が終結した年の1945(昭和20)年に、前述のPBY「カタリナ」飛行艇やB-24「リベレーター」重爆撃機を開発したコンソリデーテッド社の後身であるコンベア社に対し、新しい飛行艇の開発を発注します。これを受け同社では、社内名称「モデル117」を生み出しました。

「モデル117」は、当時最新のターボプロップ・エンジンであるアリソンT-40を4基搭載し、各エンジンには、コントラプロペラ(二重反転プロペラ)が備えられていました。また主翼も、空気抵抗(摩擦抵抗)の小さい状態を維持することが可能な層流翼という形状を採用していました。

 当初、「モデル117」は哨戒機として開発が進められ、「XP5-Y」という実験機が完成します。本機は爆弾倉に加えて、機首左右側面や後部胴体左右側面、機尾に各々20mm機銃を連装で備えていました。これら銃座は、敵機の襲撃を受けた際の自衛用であると同時に、水上艦艇や浮上中の潜水艦を銃撃する際にも使用することが想定されていました。

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1950年4月18日にカリフォルニア州サンディエゴで初飛行した際のXP5-Y哨戒飛行艇実験機(画像:アメリカ海軍)。

 しかしこの哨戒機仕様のXP5-Yは、わずか2機が造られただけでした。というのも、哨戒機なら陸上機で十分に対応できたからです。その代わり、本機には新たに「空飛ぶ高速上陸用舟艇」としての役割が与えられました。

 こうして設計変更が行われ、兵員や車両の乗り降りのために胴体後部左側面に大型カーゴ・ドアが設けられた「R3Y-1」と、大型カーゴ・ドアに加えて機首全体が上に開く「R3Y-2」の2タイプが造られたのです。なお、この輸送型への変更に際して、銃座はすべて廃止されたほか、のちに貿易風を意味する「トレードウインド」という愛称が付けられています。

「トレードウインド」は、胴体全体が与圧化された貨物室になっており、兵員なら100余名、内装を変更して傷病兵輸送用にすれば担架92本、各種物資であれば最大約24tの積載が可能でした。

【空中給油や軍用車輸送も】アメリカ製のレア飛行艇「トレードウインド」の様々なシーン

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コメント

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2件のコメント

  1. 仮にC-130の飛行艇モデルが実用化されたら、コスパ面ではトップクラスになることが予想される。そうなるとUS-2の海外輸出なんて(※すでにそうだが)夢のまた夢になりそう。
    最悪、財務省や政治家あたりから「C-130飛行艇のほうが予算がかからないから、国産飛行艇は止めよう」とか防衛基盤を揺るがしかねない発言が出るかも。
    関係者には意外と見逃せない話題かも。

    • そもそも論でいえばまたアメリカや西欧とまた戦争をしたいのならまだしも、そうでなければ1から10まで自前で作る必要はない訳で、他が作ってないものを中心に作ればいいだけの話。
      実際問題、US-2は国産機ではあるがエンジンを輸入しないとできないわけで、それが止まれば輸出どころかエンジン無しの機体が量産するだけ。
      ライセンス生産と言っても全部国産で済ますのは不可能で一定部分のパーツを輸入しないと完成しない。
      防衛基盤と言っても日本の能力ではその程度のモノしかない。