現存唯一「三式中戦車」の激レア余生 赤羽で発見され映画出演が舞い込む その後は?

大学生が発見した激レア戦車 復活計画の機運も

 生前、竹内氏が筆者(吉祥寺怪人:ライター/編集者)に語ってくれたハナシをもとにすると、猪間氏から当時、東京・赤羽にあったアメリカ軍の武器補給処(TOD:Tokyo Ordnance Depot)に「チホ」なる戦車が置いてあると聞いたそうです。

「チホ」とは47mm砲搭載の試作戦車で、現存する写真や資料が少ないため、今でも謎多き戦車です。1957(昭和32)年7月、大学生だった竹内氏はそれを確かめるためTODへ出向きます。猪間氏によると「第1地区正門にある」というので、そこへ向かうと……そこには「チホ」ではなく、なんと長大な75mm砲を備えた「チヌ」、すなわち三式中戦車が鎮座していたのでビックリしたということでした。

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オリジナルのエンジンと操向装置で自走可能に再生された九五式軽戦車。イギリスから日本への里帰りを待つ(吉祥寺怪人撮影)。

 奇跡の大発見に興奮を抑えられない竹内氏は、さっそく衛兵(アメリカ兵)に撮影許可を求めますが、「NO!」の一点張りで埒があきません。ただ、諦めきれない竹内氏は後日、大胆にもアメリカ軍司令官宛に懇願の手紙を書いて送ったところ、意外にもあっさり「OK」の返事が。これにより、翌8月中旬、TODを再訪して思う存分、三式中戦車を撮影したそうです。

 竹内氏のハナシでは、1957年時点での三式中戦車の状態は以下のようなものだったといいます。まず全体はアメリカ軍のOD(オリーブドラブ)で塗られていたものの、操縦席、車体前面の牽引基部、消音器などは残っており、各ハッチは可動したとのこと。また車体前部には「軍事機密」と書かれた銘板がついていたということでした。

 その後、TODは閉鎖されますが、陸上自衛隊が施設の運用を継続、運良く三式中戦車も廃棄されずに土浦の武器学校へと移送されることになりました。さらに当時、三菱重工に保管されていた統制型一〇〇式発動機を用いてレストアし、動態保存する計画も立案されます。

 そして約100万円(当時)の予算がついて作業が開始されたのですが、なぜか約9割まで進んだところで計画はストップしてしまいます。じつは陸上自衛隊の人事異動で武器学校長が交代、新校長により作業中止の命令が下るという、官公庁にありがちな事態が起きていたのでした。

【写真】国内に現存するそのほかの旧日本陸軍戦車

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コメント

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1件のコメント

  1. 約9割まで進んだレストアを中止させる新校長って、歴史と人気があったブランドロゴやキャラクターを一新させるタイプの人だろうなと思う。