真珠湾で米戦艦を沈めた“新兵器” でも実は間に合わせ? 意外なモノの転用で大戦果
高性能機+優秀な乗員でもクリアできない課題への対応
1941(昭和16)年、いよいよアメリカとの開戦が現実味を帯びてくると、旧日本海軍はパールハーバーに攻撃を加えることにしました。同地は冒頭に述べたようにアメリカ太平洋艦隊の根拠地であるため、戦艦や空母といった戦力そのものに加えて、重要なインフラである航空施設や港湾施設も、先制攻撃で破壊する必要がありました。
しかし、いくら高性能の九七式艦攻と優秀な乗員をもってしても、絶対にクリアできない問題がふたつありました。
まずひとつは、パールハーバーの平均水深が12mと浅いせいで、通常の航空雷撃ができないことでした。これに関しては、浅い海でも投射可能なように改修された「九一式航空魚雷改2」が開発されました。
もうひとつは、アメリカ戦艦が備える分厚い150mm級の水平装甲を、水平爆撃によって貫徹可能な徹甲爆弾がなかったことです。しかし、作戦の発動は迫りつつありました。そこで妙案が考えられます。
それは、何と長門型戦艦の主砲である45口径41cm砲用に製造された四〇糎(センチ)九一式徹甲弾を、航空爆弾に改造するというアイデアです。こうして造られた800kg徹甲爆弾は、新たに「九九式八〇番五号爆弾」と呼ばれました。
ところが、今度は別の問題が。この九九式八〇番五号爆弾が、九七式艦攻に装着できないことが明らかになったのです。この事態を受けて、作戦に参加する本機には大急ぎで改修が施され、かろうじて間に合わせることができました。
なお、このような「新兵器」の開発と並行して乗員らが猛訓練を行った結果、パールハーバー攻撃に参加する九七式艦攻は、きわめて高い爆弾命中率のアベレージを出すまでに至り、本番を迎えることになりました。
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