日本初の新造正規空母「蒼龍」が進水した日-1935.12.23 ミッドウェー海戦で海没

隙をつかれた飛行甲板

 同年6月、太平洋戦争における勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦に参加。5日未明、ミッドウェー島を空襲した攻撃隊から「第二次攻撃の要を認む」の一報を受けると、艦載機部隊は兵装を、艦船攻撃用の魚雷から陸上攻撃用の爆弾へ転換し始めます。ところが早朝、哨戒機から「敵空母らしきものを見ゆ」を受電すると、再度、艦載機は艦船攻撃用の魚雷を装備するよう下令されます。「蒼龍」の飛行甲板には、爆弾や魚雷が無造作に並んでいました。

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1942年6月のミッドウェー海戦で、アメリカ軍の爆撃機B-17から撮影された「蒼龍」。回避行動をとっている(画像:アメリカ海軍)。

 攻撃隊の発進が遅れた午前7時20分ごろ、その隙をつくようにアメリカ軍の急降下爆撃機が襲来。爆弾が命中したうえ甲板上の兵器や機体に誘爆し、「蒼龍」は瞬く間に大火災に見舞われます。付近を航行中の「加賀」「赤城」も同じ運命でした。

 消火活動もままならず、およそ9時間後に「蒼龍」は沈没。なお、駆逐艦「磯風」の魚雷によって処分されたという説もあります。先述の「加賀」「赤城」に加え「飛龍」と計4隻の空母を失った日本は大敗北を喫し、以降、徐々に制海権をアメリカ側に握られていくのでした。

 なお当時、ミッドウェー海戦の敗北と主力空母の喪失は、国民には知らされませんでした。

【了】

【写真】艦載機を満載する「蒼龍」

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