空母「蒼龍」が竣工した日-1937.12.29 姉妹艦「飛龍」とは所々違う
旧日本海軍の空母「蒼龍」が1937年の今日、竣工しました。近代空母を目指し、艦載機数や対空兵装、速さなどを追求。ただ軍縮条約を巡り、姉妹艦「飛龍」とは大きさなどに違いが見られます。
日本初の新造正規空母
1937(昭和12)年の12月29日は、旧日本海軍の航空母艦「蒼龍」が竣工した日です。「蒼龍」は1934(昭和9)年11月20日に起工すると、1935(昭和10)年12月23日に進水し、それから約2年後の同月に竣工、海軍へ引き渡されています。
「蒼龍」は日本初の新造正規空母でした。日本は1930(昭和5)年に締結したロンドン海軍軍縮条約下にあり、排水量など制限枠内で計画されたとはいえ、近代空母にふさわしいものにしようとしました。
当初は砲撃戦も想定し、対空兵装以外にも砲を設置しようとしたほど。結局、計画は変更されますが、12.7cm高角砲12門をはじめ高角機銃14基など、充実した対空火力を備えました。さらに二段式格納庫の採用により、基準排水量1万5900トン、全長227.5mの船体にして艦載機70機、そして速力は34.8ノット(約62km/h)と、走攻守そろったものでした。
「蒼龍」はしばしば姉妹艦「飛龍」と比較されます。「飛龍」は軍縮条約を破棄した後に建造が進められたため、その制約を受けることなく「蒼龍」よりも大型化が図られましたが、これに拍車をかけたのが、前年までに発生していた海難事故と演習事故でした。事故により、艦が大きく損傷するなどの被害が出た海軍は、艦艇の設計強度を見直したのです。結果、「飛龍」は基準排水量1万7000トンあまりで竣工しています。
歴史のIFですが、蒼龍と運命を共にした館長・柳本竜作氏が、加賀が被弾した時に、加賀の後方約10キロほどを航行していた同艦の総舵手に「全速前進、面舵一杯」を命じて急旋回を指示したそうですが、あと、10秒ほど早く、回避運動を取っていたら、急降下爆撃をかわせたかもしれないという説があります。但し、現実はどうだったでしょうか?かわせたかもしれないし、やはり直撃をくらっていたかもしれないし、、、