「日本一長い踏切」は多摩地区にあった 長すぎて途中には小休止用の“小島”も

当初は「踏切の方が良かった」との声も なぜ?

 2007(平成19)年8月、駅の改修に合わせ構内に自由通路が開通。しかし「踏切の方が使いやすい」という声が周辺住民から上がりました。自由通路には階段しかなかったからです。

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踏切の途中にある待避スペース。正面に見える大規模団地の住民も、同踏切を頻繁に利用していたようだ(2009年4月、小川裕夫撮影)。

 また時間帯により、自由通路は多くの人で混雑します。歩行がおぼつかない高齢者などにとって、混雑した空間は他人とぶつかるリスクが高くなります。先述の子供連れに加えベビーカーを押す人、さらには自転車の人たちからも、利用しづらいという声が聞かれました。

 実際に、自由通路の開通後も2年近く、踏切が廃止されるまで多くの人たちは踏切を利用していました。ただでさえ人は駅まで迂回するのが面倒くさいと感じがちなうえ、そこに階段があっては利用を阻むものです。

 自由通路にエレベーターが設置されたのは2009年5月末。同時に踏切は閉鎖されました。バリアフリー化も考慮されたわけですが、エレベーターは一度に複数台の自転車を乗せられる大きさです。

 踏切が事故発生リスクの高い場所であることは否定できません。その解決策として、跨線橋・地下道・自由通路などが整備されることも時代の流れです。代替手段が設けられ人流が生まれることで、街の分断は一定程度解消されます。

 拝島駅の事例では、閉鎖という形であれ踏切も解消されました。事故リスクの低減も相まって、地元自治体や周辺住民、鉄道事業者の3者にメリットが生まれたといえそうです。

【了】

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Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)

フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。

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コメント

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2件のコメント

  1. 友部と内原の間は上下線それぞれに遮断桿があるから違いますかね…

  2. 市道北143号は道路名ですね。
    踏切としては倉庫前(青梅線)、倉庫裏(八高線)、砂川3号?(西武拝島線)3つの踏切でした。
    もともと青梅線と八高線の間は水田で単に両端に踏切がある市道でしたが立川機関区の移転、電留線の拡張で一見構内通路のようになって居たものです。