旧日本陸軍が愛用した船「ダイハツ」って? 世界初の近代的上陸用舟艇が生まれたワケ

参謀総長も呆れた広島の舟艇部隊

 旧日本陸軍で海上輸送を担当したセクションは、広島県の宇品にある陸軍運輸部でした。しかし、大正時代の後半は軍縮もあって、この組織はなかば休眠状態にありました。日露戦争で使用した、上陸用の木製の艀や、団平船(だんぺいぶね)と呼ばれる重量物の近距離輸送に使用する平底の和船をいまだ多数抱えている状態だったのです。

 こうした問題から、1920(大正9)年の演習で、当時の参謀総長である上原勇作大将(のちに元帥)に「鉄舟でなければダメだ」と指摘されたほどで、さらに翌年の演習では、荒天の影響で目的地に上陸できないという事態まで引き起こしました。

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ガリポリに上陸する、イギリス・アンザック(オーストラリア・ニュージーランド)軍団。使用しているのが通常の木製のボートや艀であることがわかる(画像:Australian War Memorial)。

 陸軍運輸部ではとりあえず、これまでの木製船に船外機を付けることで対応しましたが、これらも1922(大正11)年の演習では、荒天のため多数が転覆。さらに1925(大正14)年の伊勢湾陸海軍協同演習では、試作中の舟艇が転覆して、多くの溺死者を出す”事件”まで起きました。

 ここにいたって、陸軍は上陸船艇の抜本的な開発と上陸作戦のシステム化を決意します。

 まず上陸を担当する専門部隊として広島県の第五師団を指定、隷下の工兵隊のなかに「丁工兵」と呼ばれる舟艇を担当する専用の隊を編成しました。なぜこうしたかというと、それまで陸軍は操船や荷役のために民間作業員を軍属として雇っていたからです。そうではなく、舟艇運用専門の兵士を育てることにしたというのです。ちなみに、これが後年拡充され「船舶工兵」、ついで「船舶兵」となりました。

 一方、それと並行して陸軍運輸部では、上陸作戦に使いやすい新たな舟艇の開発に着手します。

【写真】大発で使われたスパイラル・スクリューとは?

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1件のコメント

  1. 今から50年ほど昔、沖縄がまだ返還されていないころに、大学の友人たちと日本最南端であった鹿児島県与論島へ行った時のことを思い出します。鹿児島から奄美諸島を南下した貨客船から上陸するときに、潮汐の関係で沖合からこの上陸用舟艇に乗り換えて上陸したことを思い出しました。この時の上陸用舟艇はアメリカ背のものだったように思いますが、その頃は払い下げられたものが民間でも使われていたのでしょう。