『紅の豚』の彼も操った名機! アドリア海を舞ったイタリア戦闘飛行艇「マッキM.5」
水上戦闘機同士の一騎討ちと死闘
それでは、M.5型を操って「アッソ」の称号を手にした海軍パイロットを順に紹介します。
総撃墜数7機で、イタリア海軍トップに輝くのが、オラツィオ・ピエロッツィ大尉です。彼は1918(大正7)年3月にヴェネチアでM.5型を受領しましたが、それ以前に乗っていたM.3型で敵の飛行艇を1機撃墜していました。同年5月1日のトリエステ爆撃では1機を撃墜すると、さらに同月14日のポーラ軍港攻撃で敵海軍飛行艇と空中戦となり、この戦いで一挙に3機撃墜して「アッソ」の仲間入りを果たします。その後も、大尉は7月までに2機を撃墜し、大戦終結までに総撃墜数7機を記録したのでした。
2位のフェデリコ・カルロ・マルティネンゴ大尉は、1918(大正7)年5月4日にトリエステ付近でM.5型で飛行中、敵のハンザ・ブランデンブルグCC飛行艇4機の攻撃を受けたものの、返り討ちにしてA.91号艇およびA.78号艇を各1機、さらに1機を撃墜します。こうして1日で3機の戦果を挙げた大尉は、それまでの戦果と併せて5機撃墜の「アッソ」となりました。
マルティネンゴ大尉と同数で2位に並ぶのが、ウンベルト・カルヴェッロ中尉です。彼は、同じく1918(大正7)年5月4日にマルティネンゴ大尉の僚機としてトリエステ付近で敵の飛行艇群と遭遇、長時間におよぶ乱戦の末に2機を共同撃墜します。さらにA.82号艇を単独撃墜したため、過去の戦果と併せて5機の総撃墜数とされています。
これらM.5戦闘飛行艇と敵飛行艇との死闘の模様は、アニメ映画『紅の豚」でも主人公ポルコ・ロッソの青年時代のエピソードの一部として描かれました。ちなみに、イタリア空軍が新設されたのは1923(大正12)年のこと。このときも、まだ65機のM.5型が配備されており、その後も数年に渡って軍務に就いていたため、まさに『紅の豚』で描かれた「飛行艇時代」にピタリとはまる飛行機であると言えるのではないでしょうか。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
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