チェコの戦車いいじゃん! スイスが欲した「ヘッツァー」派生の駆逐戦車G-13 何がよかった?
駆逐戦車「ヘッツァー」の誕生
ただ、第2次世界大戦が勃発し、戦局が熾烈さを増すと、これら2車種は戦車として性能的に陳腐化します。35(t)戦車はそれ以上の進歩はありませんでしたが、38(t)については信頼性が高く使い勝手のよい車体が評価されたことにより、自走砲の車台へと流用され、対戦車自走砲「マルダー」シリーズや自走歩兵砲「グリレ」などへと「変身」しました。
この38(t)が原型の自走砲車台を生産していたことで、大戦中盤以降には、そのパーツを流用して新たな駆逐戦車「ヘッツァー」が開発され、そのファミリーに名を連ねるようになったのです。
「ヘッツァー」は38(t)譲りの高い機械的信頼性を備えており、当時のソ連重戦車IS-2「スターリン」も撃破可能な攻撃力を有していましたが、スピードは速くありませんでした。また、車体前面の装甲こそ、装甲板の傾斜角も相まってそこそこの耐弾性を示しましたが、側面や後面の装甲厚は軽量化のため申し訳程度のものでした。
車内は狭小で、乗員が砲弾の装填などの戦闘操作をするにも苦労しましたが、一方ではこの小ささが全体シルエットを小さくしており、敵から狙われにくくなる効果を発揮しています。
「ヘッツァー」は1944(昭和19)年3月から生産が始まったものの、翌1945(昭和20)年5月にドイツが第2次世界大戦に敗れたことでストップします。加えて、チェコはドイツの支配から脱却し、再び独立国家に戻りました。
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