サハリンへ渡った「デゴイチ」その後 日本向けと異なる極寒仕様とは? 実は現存

「デゴイチ」の愛称で親しまれているD51形蒸気機関車は、日本国内向けでなく海を渡った車両があります。その一例がサハリンに送られた蒸気機関車です。日本のD51形とはちょっと違ったスタイルでした。

前照灯は日本のD51形より大きい

 D51形蒸気機関車といえば、国鉄向けに1115両が製造され、日本で最大両数となった機関車として有名です。JR東日本にD51形498号機、JR西日本にD51形200号機が動態保存されており、「デゴイチ」の愛称で親しまれています。

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JR東日本が動態保存を行っているD51形498号機(伊藤真悟撮影)。

 しかし、D51形は国鉄向けに製造されただけではありません。地方鉄道向けのほか、第二次世界大戦後の1949(昭和24)年にソビエト連邦(現・ロシア)が発注した30両はサハリンに送られています。1号機から7号機までは日本車輌、8号機から14号機までは川崎車両、15号機から20号機までは日立製作所、21号機から25号機までが汽車製造、26号機から30号機までが三菱重工業と、5社が製造を担当しました。

 サハリン向けのD51形は、国鉄のD51形と比べると前照灯が大きく、極寒地向けとして機関室の背面を密閉したため、日本のD51形とはちょっと違ったスタイルとなっています。さらに、ナンバープレートには形式と車号のあいだに「ハイフン」が入っているのが特徴です。

 サハリンで使用されたD51形は1968(昭和43)年までにディーゼル機関車へ置き換えられて廃車。30両のうち6両が日本に里帰りして保存されました。しかし、老朽化などにより日本で残っているのは「振内鉄道資料館」(北海道平取町)に保存されている「D51-23」と「別海町鉄道記念公園」(同別海町)に保存されている「D51-27」の2両のみ。サハリンでも「D51-4」と「D51-22」の2両だけが保存され、残っているのはわずか4両と、貴重な存在となっています。

 D51形が海を渡ったのはサハリン向けだけではなく、戦前に台湾総督府向け、戦後は台湾鉄路局向けや国連軍(韓国駐留米軍)向けなどに製造されたこともあります。このうち、台湾鉄路局の「DT668」(台湾総督府時代は「D51 18」)は2010年に動態復元されています。

【了】

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