「バイクは救急車ではない」を覆す 消防の歴史を変えた“東久留米のネイキッド赤バイ”
独自性が強かった東久留米の消防体制
東久留米市消防本部(当時)が平成に入ってから導入した二輪車は、消防用ではなく救命用でした。導入のきっかけは、当時の東久留米市消防本部の千葉政美(ちばまさみ)消防長が、プライベートで海外旅行に出かけた際に、ヨーロッパで救急オートバイを見たのが発端だったそうです。
当時の東久留米市は急速な都市化により道路整備が遅れたことで、一方通行や狭い道が多く、数少ない大通りは渋滞が深刻であったといいます。そこで、ヨーロッパで見たような緊急用二輪車を運用することができれば、救命効果を高めることができると考えたからでした。
こうして救急用の自動二輪車というものが生まれます。ただ先行事例のない取り組みだったため、いろいろ苦労があったとのこと。当初は、救急車と同じ枠組みとなる救急バイクとして導入しようと動いたものの、警察から「救急車は患者搬送ができるからこそ緊急車両として認められる。バイクでは患者搬送ができないから認めることは難しい」と物言いがあったそうです。
警視庁と話し合った結果、「消防活動用二輪車」、すなわち「赤バイ」なら前例があるから認可できるといわれます。そこで、火災などの災害が発生した場合に即応可能な緊急車両として導入することとなり、当初は「消防・救急オートバイ」として導入されることになったとの話でした。
このバイクは消防用として消火器なども携行していたとのこと。ただ、実際に乗るのは救急救命士だったそうです。
何年か前の雪の日に、救急支援なのか東京日野署の消防車が町田市に現れてびっくりしました。車種はHINOではなかったように思いますが…