兵庫の平野に蘇った「九七式艦上攻撃機」空母関係ない場所になぜ?「紫電改」に次ぎ登場

地元の歴史を後世に伝える役割

 そうした艦上攻撃機の機種変更用として、鶉野飛行場に展開していた姫路海軍航空隊も練習機として九七艦攻を使用しました。ただ注意すべきは、ここに配備されていた九七艦攻は、太平洋戦争の嚆矢となったハワイ真珠湾攻撃で使用された三号ではなく、原型の一号だという点です。

 九七式一号艦上攻撃機は、「光」エンジンを搭載し、速力も三号より劣る最高速度350km/hでした。それでも、練習用としては問題なかったのですが、戦争末期の1945(昭和20)年2月には同機で教官や練習生による特別攻撃隊「白鷺隊」(はくろたい)が編成され、4月から5月にかけての5回の出撃で21機、合計63名が沖縄の空に散っています。

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垂直尾翼には姫路海軍航空隊の所属で、沖縄への特別攻撃を行った「白鷺隊」(はくろたい)佐藤清大尉機を示す「ヒメ-305」が描かれている。また尾輪前には空母の着艦用フックもある(吉川和篤撮影)。

 今回、展示用として造られた九七艦攻の模型は、この「白鷺隊」の沖縄特攻機を再現したものです。そのため、機体下部には対艦攻撃用の九一式航空魚雷(838kg)ではなく、80番爆弾(800kg)を懸吊した状態になっていました。

 また尾翼のマークも「ヒメ-305」となっており、これは4月6日に鹿児島県の串良基地から沖縄に向けて出撃した、和気部隊護皇白鷺隊第3区隊の1番機であった佐藤清大尉の機体を示しています。

 ちなみに、この金属製模型は、茨城県水戸市の看板メーカーである広洋社が1年半かけて製作した物とのこと。同社は同じく鶉野飛行場跡に展示されている「紫電改」戦闘機の実物大模型も3年前に製作した実績を有しています。この「紫電改」の実物大模型、2022年3月現在は飛行場跡地奥の災害用備蓄倉庫で展示されていますが、4月からは新たにオープンする「soraかさい」に移されるそうです。

 これまで郷土の歴史のひとこまとして語り継がれていた鶉野飛行場の九七艦攻ですが、原寸模型という新たな依り代(よりしろ)を得たことで、来場者が戦争というものをイメージしやすくなることは間違いないでしょう。周りの戦争遺構と共に、未来に向けてその存在と歴史を伝える一助になることを期待します。

【了】

【お先に展示の「紫電改」も】なかなか見られない九七艦攻の操縦席アップほか

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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