ウクライナの「泥濘地獄」に攻めたロシア なぜ? 知らぬはずはない“肥沃な大地の罠”

悪路に強い戦車ですらハマる泥濘地獄

 履帯、いわゆるクローラー駆動の装軌式車両が本格的かつ大量に用いられた第2次世界大戦において、旧ソ連に侵攻したドイツ軍は、モスクワを目指す途中で晩秋のロシア名物「泥濘地獄」に襲われ、その後、わずかな期間の泥濘の凍結期を経て、今度は「冬将軍」の第二撃をくらいました。

 このダブルパンチに苦しんだドイツ軍でしたが、さらに続いた雪と寒さに強いソ連軍の反撃にやられて敗退。おまけに翌年初春の泥濘で、またしても補給困難に陥りました。この時、もしドイツ軍が1941(昭和16)年6月ではなく、「泥濘地獄」終結直後である2か月前の4月に旧ソ連へ侵攻していればモスクワを占領できたのでは、と考える史家も少なくないようです。

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ウクライナ領内に遺棄されたロシア軍の「ティグラ(タイガー)」装輪装甲車(画像:ウクライナ軍参謀本部)。

 それから約80年、現代の装輪式や装軌式の車両は、当時と比べて車重とエンジン出力のバランス(出力重量比)が劇的に改善されています。しかしそれでも、車輪や車軸を大きくのみ込み、履帯なら沈み込ませると同時に機動輪、誘導輪、転輪の隙間にネットリと入り込む泥濘は、やはり車両の行動を麻痺させます。

 これまた80年ほど前と比べれば、ロシアやウクライナの道路事情も大きく改善されていることでしょう。しかし、いったん道路を外れたフィールドの状況は、当時とさほど変わっていないのではないでしょうか。おまけに、平野が続き、かつては「ヨーロッパの穀倉」とも称された農耕に適したウクライナの柔らかな土壌は、多量の水を含むと泥濘化しやすいことは今も昔も同じです。

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