「ゼロ戦」が初飛行-1939.4.1 卓越した運動性能と航続距離 戦後はエアレースで飛行も

戦闘爆撃機としての性能も

 しかし時代が下ると、アメリカなど連合国側も「零戦」に劣らない戦闘機を開発、前線に送り込みます。たとえばアメリカのF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」など、高い防御力を維持しながら高速を誇る機体は、「零戦」の大きな脅威となりました。加えて日本の敗色が濃くなると、熟練したパイロットも不足するようになりました。

 ただし「零戦」もそれらに対峙すべく進化しています。派生型がいくつも生み出されましたが、たとえば戦争中期に登場した五二型には防弾ガラスや自動消火装置の付いた燃料タンクが採用され、防御力を強化していました。また、末期に登場した六二型や六三型は戦闘爆撃機としての性能も持ち、250kgもしくは500kg爆弾も搭載可能でした。

 とはいえ、アメリカの大型爆撃機が日本本土に襲来するようになると、軍需工場が空襲を受け、生産も滞りを見せます。加えて物資や燃料が不足しがちになり、後継機の開発も遅々として進まなかったことから、「零戦」は終戦まで運用されることになります。

 初期には善戦した「零戦」でしたが、1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦以降、いよいよ制空権・制海権ともアメリカに握られると、機体は特攻作戦に投入されます。日本近海に展開するアメリカなどの艦隊に対し、本土からそこへ到達できる最低限の燃料だけを搭載し、爆弾を抱き機体もろとも突入するというものでした。捨て身の戦法でしたが、艦船に命中した際には、空母や戦艦から駆逐艦や揚陸艇に至るまで、大きな損害を与えています。

「零戦」は大量生産されたことも相まって、現存する機体の数も多くなっています。なお最近では、2017年6月3日(土)と翌4日(日)に幕張海浜公園(千葉市美浜区)で開催された「レッドブルエアレース」において、二二型が飛行しています。「零戦」は戦後も“ゼロ戦”の呼び名で広く親しまれ、マンガなどにも多数登場。最も知られた戦闘機のひとつといってもよいかもしれません。

【了】

【写真】空母「赤城」を発艦する「零戦」

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コメント

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1件のコメント

  1. 細かい指摘ですが、幕張のエアレースで飛んだ零戦はロシアでリバースエンジニアリングで作られた再生産機で、戦前から生き残った機体じゃないですね。
    保有する団体はそこをボカして資金集めしていて、いろいろなとこからつっこまれていました。