「司令官は最前線へ」の伝統が原因? 旧日本海軍の連合艦隊トップ戦死の2大事件
軍のトップが最前線で戦ってこそ兵の士気を高められるという伝統は、いまなお根強いものです。そのようななか、時代の変化に逆らい、この伝統にこだわった旧日本海軍は、山本五十六長官を失うこととなりました。
連合艦隊司令長官の戦死は一式陸攻のせい?
太平洋戦争中の1943(昭和18)年4月18日、当時、旧日本海軍の連合艦隊司令長官であった山本五十六大将が、南太平洋ソロモン諸島にあるブーゲンビル島上空でアメリカ軍機に銃撃され戦死しました。前線の将兵を鼓舞するため、一式陸上攻撃機(通称一式陸攻)でラバウルから隣のブーゲンビル島へ向かう途中のことです。
これはアメリカ軍が事前に司令長官訪問の情報を暗号解読し、戦闘機の待ち伏せ攻撃によって挙げた戦果で、これにより長官機は墜落、2番機は不時着して宇垣 纒(まとめ)参謀長が重傷を負いました。この出来事はのちに海軍甲事件と呼ばれます。
旧日本海軍の作戦を実行する連合艦隊のトップが機上で戦死するという異常事態はなぜ起こったのか、その背景には作戦指揮のあり方に問題がありました。この事件の原因といえるその部分を、くわしく見ていきましょう。
そもそも、一式陸攻はアメリカ軍将兵から「ワンショットライター」と揶揄されていたため、その低速でかつ撃たれると炎上しやすい機体設計が、山本五十六の乗機が撃墜された大きな原因――というイメージがあるかもしれません。しかし、彼が乗った初期の一式陸攻11型でも、燃料タンクの一部に防弾ゴムがあり消火装置も装備していました。11型以降の改良型では、さらに防弾板が追加されるなどして防御力が強化されています。
一方、ヨーロッパ戦線で活躍したアメリカのB-17爆撃機は、戦争後期に護衛戦闘機が付くまで、ドイツの迎撃機に多大な被害を出しています。
一式陸攻は終戦まで旧日本海軍の主力陸上攻撃機として、爆撃だけでなく人員の輸送も行っています。一式陸攻が打たれ弱かったとされるのは、航空機の性能以前に、国力を背景にした消耗戦で日本はアメリカに押されていた、というのが本当の理由でしょう。
戦場の空域を支配する「航空優勢」がなければ、陸海空の戦いは不利になります。山本五十六の戦死は、航空優勢が取れていない中を、連合艦隊の最高指揮官が最前線に出かけたことが大きな原因でした。このような行為は、旗艦で指揮をしながら砲撃戦をするのに比べて格段に危険が大きくなります。航空機の優位性を唱えた彼が、空で戦死したのは皮肉な話です。
では、なぜ旧日本海軍と山本五十六は、そのような危険な行為に及んだのでしょうか。
最前線で指揮を執ったのとは違うけど
同大戦中アメリカ海軍太平洋艦隊潜水部隊司令官のイングリッシュ少将も
航空機墜落事故により亡くなっていますね。
まあ、あちらは後任の司令官ロックウッド少将の方が有能で
彼の育てた潜水艦部隊いわゆるサイレントサービスが
日本軍の補給線を絶ち戦局に大いに貢献したと評価されてるけどね。