懐かしの山手線205系、その後どうなった? 国鉄のコスパ電車はいかに重宝されたか
山手線11両化 そして転属へ
1990(平成2)年になるとJR東日本は、朝夕のラッシュ時の混雑緩和を目的に片側6ドアのサハ204形試作車(900番台)2両を投入。第42編成の2号車と9号車に連結して同年3月10日のダイヤ改正より営業運転を開始しました。その後、8号車と9号車に連結して混雑状況の違いを測定し、サハ204形量産車の連結位置を決めたのです。
山手線の205系が最初に転属したのは埼京線・川越線(大宮~川越)でした。当時、埼京線・川越線でも205系が導入されましたが、残っていた103系2本は他線区で使われていた205系で置き換えることになり、1990年に中央・総武線各駅停車の205系1本とともに山手線の第41編成が埼京線へと転じています。山手線の205系はドア窓が小さいため、ドア窓が大きい埼京線の205系のなかではちょっと目立った存在でした。
翌1991(平成3)年に山手線ではサハ204形量産車が本導入され205系が11両化しましたが、1996(平成8)年には埼京線恵比寿延伸開業用として第42編成の10両が埼京線に転属し、2001(平成13)年には余剰となっていた6ドアのサハ204形試作車(902)も同じく埼京線に転属しました。
大きな動きが起きたのは2002(平成14)年のことです。山手線にE231系500番台を導入したことで、余剰となった205系は103系の置き換えや列車増発用として各地へ散っていきます。埼京線、川越線はもちろん横浜線、京葉線、武蔵野線、南武線、南武支線、鶴見線、八高線、そして宮城の仙石線と多方面に転属し、その際、先頭車が不足することから南武線(一部編成)、南武支線、鶴見線、八高線、川越線(川越~高麗川)、仙石線に転属した車両は中間車が先頭車化改造されています。
しかし2010(平成22)年以降、E233系電車が京葉線を皮切りに横浜線、埼京線・川越線(大宮~川越)、南武線へ新製投入。武蔵野線には209系500番台とE231系0・900番台、八高線・川越線(川越~高麗川)には改造を施した209系3500番台とE231系3000番台を投入したことで、JR東日本で元山手線の205系が走る路線は鶴見線、南武支線、仙石線の3路線のみとなっています。
なお、元山手線の205系は私鉄や海外にも転じています。
【了】
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