ザ・魔改造! 農業用トラクター転用からのイタリア「大砲牽引車」の系譜 旧日本軍も試験
実車の乗り心地は? イベントで乗ってみた
このオープントップの新型牽引車は4輪駆動、4輪独立懸架の凝った足周りに、これまでのイタリア軍ガントラクターと同様の大直径ホイールを装備して、高トルクで不整地での重量物の牽引に対応していましたが、エンジンは105馬力(ディーゼル)に出力が向上しており、最高速度も43km/hを上回りました。そして運転手と助手以外に兵員6名を乗せ、車体後部のラックには予備砲弾の搭載も可能でした。
また外観もこれまでのボンネットスタイルではなく、エンジンが運転席と助手席の間に大きく埋め込まれた独特な形状となったことで、全長が短くなり取り回しやすくなったものの、車内の熱や騒音問題が残りました。
筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)も20年ほど前、イタリア北東部、アドリア海に面した都市リミニで開催された軍用車イベントで助手席に乗ったことがありますが、走行中はエンジン音が煩くて運転手との会話もできない程でした。しかも、かなりの熱を出し、オープントップでなければ暑くて堪らなかった記憶があります。
TM40型はロシア戦線に向けて配備が急がれましたが、その量産は遅く、ようやく1942(昭和17)年に始まり年内の配備は107両に留まりました。1943(昭和18)年始めの3か月で90両の生産を目指したものの、9月にはイタリア休戦となり、生き残った多くの車体はドイツ軍に接収されて再使用されました。さらに北イタリアの枢軸RSI(イタリア社会共和国)側では引き続いてドイツ軍向けに製産が続けられ、1944(昭和19)年には少なくとも153両がドイツ軍向けに完成しています。
配備時期が遅れたため、戦時中にその能力を発揮し切れなかったTM40型でしたが、その農業用トラクターを元祖とした独特なスタイルや設計の新しさは、戦後に開発された改良型のTM48型牽引車にも引き継がれています。そして戦後も新生イタリア陸軍で1949(昭和24)年頃まで使用されたのでした。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
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