沈んだロシア巡洋艦「モスクワ」どんな船? 艦齢40年の老艦が艦隊旗艦を務めていたワケ
古くとも余裕のある船体サイズがプラスに
このような長射程対艦ミサイルを搭載する巡洋艦の建造に際して、ゴルシコフは時間の短縮とコストの低減を重視し、既存のカーラ級対潜巡洋艦をベースにした開発を指示。しかし結果的に船型をやや大きくすることになり、排水量約1万2000tという大柄なスラヴァ級の設計が固まりました。
同型艦は4隻が建造され(就役は3隻)、発展型の準同型艦も5隻の建造が予定されていましたが、ソ連邦の崩壊によって後者は全て建造中止、ネームシップも起工直後に工事がストップし、結局解体されました。
一方、就役済みの「スラヴァ」級3隻は、事実上の後継であるロシア海軍によって運用が続けられました。ただ、艦名はそれぞれ、ネームシップの「スラヴァ」が「モスクワ」に、2番艦「アドミラル・フロタ・ロボフ」は「マーシャル・ウスチノフ」へ、3番艦「チェルヴォナ・ウクライナ」は「ヴァリャーク」に改称されています。
ミサイル巡洋艦「モスクワ」は、艦齢が実に約40年にもなる老朽艦です。しかし、軍艦のようにその生涯において改修や改造を施される兵器には、「大は小を兼ねる」のキャパシティーがとても重要で、「スラヴァ」級のミサイル巡洋艦にはそれが備わっていました。大人数の艦隊司令部を乗艦させるのに船体が大きいことは必須であり、だからこそ「モスクワ」は黒海艦隊旗艦に用いられていたのです。
今回、沈んだミサイル巡洋艦「モスクワ」は、アメリカ空母機動部隊に対する「当時の切り札」としてソ連海軍が編み出した「対艦ミサイル飽和攻撃」という旧戦術を体現するために建造された、いわば古い設計コンセプトに基づく艦だったのです。
そして、西側の軍艦のように「古い革袋(旧式艦)」に「新しい酒(最新装備)」を「入れる(後乗せ)」ことが予算的な面で完全にはクリアされていない状態にあったことが、沈没の一因だった可能性も考えられます。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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